[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0114 Temptation.

 

 居酒屋へ行きたくなる。

 夜の中を泳ぎたくなる。

 

 人間は日々の中で大きなストレスを抱えていると、その他欲求を満たすことによってストレスの解消を試みるらしい。食欲、性欲、物欲、大きく空いた穴を埋めようとする。欲望の穴埋めに課金すればするほど、快楽を得ることが出来る。けれど、それは継続的ではなく一時的なものであって、またすぐにストレスが「どうも」なんて言いながらやってくる。結局のところ、根本的な問題を解決しなければ、ただ空虚に財産と心を消費し続けるクリーチャーと化す。

 

[会社と自宅の往復、帰宅後は飯食って酒飲んでスマホいじって寝る。休日は家で昼から酒飲みながらネットサーフィン、気が向いたらネットフリックス見て、何度か自慰をして疲れたら眠る。]

 

 自分が思い描く現代版デカダンスはこんな感じ、少し安直すぎる気もするけど。

 

 こんな毎日を繰り返しているのなら、ストレスも降り掛かるだろうと思う。職場環境が良好ではない場合、尚更だ。「これが私の幸せなんです」と言われれば、それ以上何も言及することは出来ないけど、その中で産出された”空虚”を刃物に変換して世の中を切りつけることは止してくれよと思う。

 

 わたしは日々の中で、好きなことだけやって生きているし、嫌なことはやりたくないから、可能な範囲で物理的距離を設けるようにしている。職場環境も良い方だと思うし、周囲の友人関係にも恵まれている。割と快適に生活を送っているような気がする。と思ったけど、精神疾患のことを忘れていた。強迫観念こそが諸悪の根源、これさえなければなぁと何度思い悩んだことだろう。

 

 そんな訳で、自分の中では不定期的に大きなストレスが発生する。発散する為に、自分の場合は「酒欲」を満たそうとする。出来れば誰かと楽しく話ながら酒を貪りたいけれど、そういう状態では普段吐くことのない世に対する不満や、言う必要のなかった言葉までもが露呈することがある。相手に迷惑をかけてはいけないから、選択的孤独を決意する。

 

 大好きな家なのに、その場に留まることが出来ないというか、今は無心で感傷に浸りたいというか。何故か、他人の騒めきや雑音を求めている自分がいる。そんな時には居酒屋が良き居場所として側に寄り添ってくれる。

 

 自分はストレスによって負荷がかかると、人肌が恋しくなるのだろうか。転んで擦り傷を負って大泣き、母に手当てをしてもらい宥めてもらう。そんな幼少期の体験が心から抜けきっていないのだろうか。もう身体は成熟したにも関わらず、心はいつまで経っても未熟なままだ。本当に情けない。

 

 でも、そんな情けない自分が嫌いではない。男はいつまで経ってもマザコンだ、なんて世間では揶揄されているけど、そんなものは男女関係無いんじゃないか。それが母ではなかったとしても、縋る何かを求めているんじゃないか。私たちはいつまで経っても、赤子のままなんじゃないか?。

 

 まだお酒を一滴も含んでいないのに、私は一体何を言っているんだろう。兎にも角にも、今は居酒屋を求めている。

 

 それなのに現在はカフェにいて、本当にこのまま居酒屋に向かうべきなのかと迷っている。恐らく、この感じは自暴自棄の香りがするし、居酒屋に行けば、明日を失うことは目に見えている。このまま帰宅して、作品に触れる方が建設的なのは明らかだ。それなのに迷ってしまう。心の声を優先すべきか、理性で鼓膜を打ち破るべきか。

 

 迷っている間にマグカップが空っぽになってしまった。誰かハイボールを注ぎ足してくれればいいのに。そしてそのまま、一緒に過ごしてくれればいいのに。そんな妄想だけは一人前で、いつまでも現実を直視出来ないでいる。

 

 

 嗚呼、居酒屋、

 これ以上私を駄目にしないでくれないか。