[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0113 優しい人になりたくなくて

 

 他人に優しく在りたいけれど、優しい人とは言われたくない。

 

 自分の考えとして、優しさって少量の愛を配ることだと思っている。相手に与えることによって、自分も与えられる。相手に優しくすること、優しくしたいと思える人は、慈愛に満ちているのだろうか。勿論、そういうマザーテレサみたいな方もいる。しかし、「とりあえずこの人には優しくしておくか」みたいに打算的な心配りを行う人間だっている。心が込められていなければ、それを”優しさ”と形容することは難しい?。受け取る優しさ全てに重圧な心が込められていると、少々負担を感じる。軽薄な愛、軽薄な優しさが心に沁みる瞬間だってある。受け手側が「優しいな」と感じた時点で、そこに心配りは成立すると、私は考えている。

 

 逆に、いくら相手のことを想って少量の愛を与えたとて、受け手側の心が動かなければ”優しさ”は成立しない。それは与える側、愛を配る側のエゴとなり、受け手側からすればただの迷惑である。そういうこと考えてると、「優しさの押し売り」って言葉が頭の中に思い浮かぶ。

 

 愛を配る為に必要な唯一の要素は、心身ともに余裕があること。心と身体、どちらか一方でも不具合が生じている場合には、他人に優しくすることは難しい。そんな状況でも心を配ろうとする方もいるが、わたしはそれを優しさと形容することは出来ない。何であれ、先ずは自分自身が最優先。他人のことを考える暇があるなら、もっと自分に優しくしてあげてほしい。

 

 例えるなら、余裕とはコップに水が注がれて溢れている状態。表面張力を突破してコップから水が溢れている人が、他の誰かに水を分け与えることが出来る。溢れた水で花に水をやることも出来る。そんな心の余裕が、更なる余裕を生成する。一方、コップに半分しか水が入っていない人は、自らが水を飲むだけで精一杯だ。それなのに世の中は”人に優しくしなさい”と警笛を鳴らす。その教えに従い、苦しいながらも水を配る。その結果として、自分が満たされる程度の水量を確保出来ず、当人は心身ともに枯渇する。そして、余裕はどこまでも遠のいていく。

 

 この水を容れる器がマグカップの方もいれば、ワイングラスのように繊細な方もいる。バケツの方もいれば、浴槽ぐらい大きい方だっている。生活において何もかもが満たされている余裕の塊みたいな人間は、その大きすぎる器を一部改築して温泉にしてしまったりする。「みんな遊びにおいでよ」ぐらいの軽い感覚で、周囲の人々に安心とやすらぎを分け与える。

 

 わたしが言いたいのは、余裕の塊みたいな人間になりなさいとか、余裕を持ちなさい、ということではなくて、先ずは”自分自身を満たしてあげよう”ということ。器がマグカップであれ、ショットグラスであれ、大きさは関係ない。とにかく自分を最優先にすること。書いていて気付いたけど「最優先」って言葉を分解すると、「最も先に優しく」となる。ちょっとこじつけが過ぎるかしら?。

 少しばかり話しが逸れたけど、自分の器が満たされて初めて、溢れた分の水=少量の愛=優しさを相手に配ることが出来る。

 

 

 わたしは相手から"優しい人"、と思われたくないと考えている。そんなこと言われるともう二度とこの人には優しく出来ないなと思ってしまう。これは反抗期の天邪鬼だけでは終わりません、話しは続きます。

 

 優しい人と言われると、どうしても脳内で"いい人"として言葉が変換されてしまう。そして、"いい人"とは即ち"どうでもいい人"だ。表面的なごく一部分だけを見て勝手に判断するのはやめてほしい。もっと私をよく見て、もっと醜く汚い部分が心の凡ゆる場所に散らばっているから。優しい人、と言われるぐらいなら"最低、死ね"と言われた方が幾らかマシに思える。

 

 周囲から散々"優しい人"と言われ続けた人間が持ち合わせる、優しさとはかけ離れた惨虐な一部分。否応無しにその一部分は強調される。それならば、私は最低の悪童で在りたい。その上で余裕がある時には優しさを配りたい。ヤンキーが子猫を助けるような、そういうギャップ的高評価を狙っている訳ではない。

 

 「あの人は優しい方」なんて思われてると、その言葉に自分自身が縛られてしまうような気がする。相手の期待に応えようとする難解な自分が姿を現す。「あーあ、優しく振る舞わねばならんのかー」みたいな感じで気が重くなる。そういう自分が嫌いだ。

 

 「あいつは最低の人間だ」と思われていた方が気楽に生きることが出来るし、その言葉からはどことなく愛を感じる。常に優しさを振り撒くよりも、気まぐれで心を配るぐらいがちょうど良いのかもしれない。誰にでも平等に配られる作り笑いよりも、少量の愛を不定期で送りつける方が相手には喜んでもらえる。

 

 だから、私はいつまでも優しい悪童で在りたい。器の水が溢れている時にだけ、気まぐれで心を配りたい。わたしはいつだって最低で、最高の薄情者として生きていくんだ。

 

 

 やっぱり私は、天邪鬼なのかもね。