[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0275 面影に縛られて

 

「世の中は思っている以上に適当だから、自分も同じくらい適当に生きていけばいい」

 

 気分で書いている日記に、このような言葉が綴られていた。毎日肩に力を入れ過ぎて、頭がバキバキに凝る。真面目であることが美徳とされる風潮も、現代では最早崩れ落ちた神話に過ぎない。真面目であるくらいなら、不真面目である人間の方が幾らか信用できるように思う。「あいつは気楽でいいよな」なんて他人に思ってしまう人は、本当は自分自身が気楽になりたいのだろう。憧れはやがて嫉妬に変わり、そして最後には憎悪に変わる。

 

 物事に対する取り組みとか、衛生観念とか、人間関係とか、あらゆる対象に対しての解像度を下げる。鮮明に見えているものを少しボヤけさせるような、そんな心意気が繊細な人間には必要だろう。本を読めば対象療法だったりそれっぽいことが書かれているけれど、果たして、それは努力で手に入るようなものなのか。体感で理解する為に、自分自身を使って実験している過程であります。他人が壊れてしまうと困るけれど、自分が壊れてしまっても構わない。なんてものはあくまで世間を歩く上での建前であって、真の実は「他人が壊れても、自分が壊れても、そんなことどうだっていい」というのが熟成された結果論なのだった。

 

 時として、人は壊れてしまうことがある。突然壊れることもあれば、徐々に酸化して身から出た錆に苦しめられることもある。誰のせいでそうなったとか、自分が悪いとか、そんなことを考えるのは時間の無駄で、壊れてしまったからには修復を試みなければならない。誰かが治してくれる、そんな脆い期待を抱いているようでは、いつまで経っても動き出すことは出来ないだろう。優しい人が手を貸してくれた時には、有難く甘えればいいと思う。それでも、都合よく救いの手は差し伸べられない場合が多くて、そもそもそういう時の解像度は皆無に近づいているから、どれが本当の優しさで、どれが自分を傷つける恐ろしさなのか、冷静に判断することが難しいのです。恐ろしさは例外なく恐怖として、そして降ってきた優しさに対してもこれまた恐怖が生み出されるものだから、雁字搦めでノックアウト。どうしようもなく頽れることしかできないまま、ある程度枯れていく姿が容易に想像できる。

 

HSPとは、生まれつき「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味で、「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー」と呼ばれています。
HSPは環境や性格などの後天的なものではなく、先天的な気質、即生まれ持った性質であることがわかっています。

 

引用元:HSP(Highly Sensitive Person)ハイリー・センシティブ・パーソン

 HSPって知ってる?と友人から連絡が入った。近年、書店にいけば一度は目にするようになった言葉。この気質を有している人は”繊細さん”と呼ばれていて、あくまで病気ではなく先天的気質であるとのこと。日本では5人に1人がこの気質を持っているらしく、割とその辺にHSPは散らばっている。繊細で敏感、自分でもそう思う瞬間が多々あって、他人からも度々指摘されてきた。HSPかHSPじゃないか、精神病か精神病じゃないか、自分としてはそんなのどっちでもいいのだけれど、こういった方に向けて書かれた指南者を読んでわたしが思うことは、とにかく自分の行動や思考を以て世界の捉え方を変えるしかないということ。己が変わらない限り、世界は何一つ動き出さない。最終的に自分を救えるのは、ただ一人自分だけしか存在しない。

 

 いかなるほどの愛を与えられても、素直に受け取れなければその愛は行き場を無くし消えてしまう。愛されたいと思うのなら、開放的な心が必要になる。誰彼構わずオープンになれというわけではなく、然るべき時に受け取ったり、与えたりできるように、一定水準の冷静さを保ち続けることが大事になる。その為にはある程度気楽でいること、適当に生きることが心に優しいと思っていて、わたしはそういう人間になりたいと考えています。思考を巡らせるだけでは何も変わらないので、少しずつ行動を変えてみる。繊細で敏感な世界に対する解像度をもう少しだけ柔らかくして、与える解釈を鈍くする。愚かで何も知らなかった過去のわたしは、何が起きてもほとんど気にならなかった。色んなことを知れば知るほどに、気になることが増えていった。過去の自分に戻ることは出来ないけれど、未来の自分を緩やかに構成することは可能なのではないか。そのような淡い希望を抱くことで、今日一日を生きていけるのだとすれば、それが何よりも自分に優しい日常なのだと思うのです。

 

 

 愛も恋も友も他人も、仕事もお金も理不尽も、もっと気楽に緩やかに、関わっていければいいのにな。