[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0188 ゆるりと

 

 「せめて楽に生きたいわ」

 

 仕事中に書き記したメモにあった一言。特に何があった訳ではないけれど、何も起きていないからこそ、楽に生きたいわなんて無駄にペンを動かしたのかもしれない。

 

 苦しむことは簡単だけど、楽しむことってすごく難しい。ヒトは元来ネガティブな方面に焦点が合わさる性質を持っている為、意識しなければ楽しさを見つけ出すことは難しい。その意識が癖づいて”楽しみ上手”になれればいいんだけど、そもそもの話しその領域に達するポテンシャルを秘めているんだったら、こんなに苦しんでないわ。難しい難しい難しいって端から決めつけているのは自分だし、その決めつけが己の首を絞めていることは確かなんだけど、それでも素直にポジティブ側面を受け入れることが出来ないでいる。

 

 何も考えずに、もっと気楽に生きたい。否応なしに脳内を逡巡する幾つもの雑念たちが「気楽に生きればいいじゃん」という身軽な提案を上塗りする。誰に何を言われてもいいし、何を思われても構わない。もっと簡単に嫌われる人間でありたいし、そういう世界の中でずっと綺麗な花だけを摘んでいたい。どうしてこうも世界を複雑に捉えてしまうんだろう。運動して、飯食って、風呂入って、交尾して、寝る。このぐらいシンプルに生活を営みたいと思っているのに、どうやらわたし達現代人は賢くなりすぎてしまったみたいね。仕事で出世して、交友関係を築いて、プライベートを充実させて、そんなことで大切な自分の時間を世界に提出してしまっている。思考が複雑になればなるほど、躓きやすくなる。そして、転んだ後に嘆く「どうしてこうなってしまったんだ」。

 

 今年の抱負は「小さなことは気にしない」を掲げる。気にしないという目標に意識が向いている時点で、それは多かれ少なかれ”気にしている”ことになっているし、気にしないことを気にしている自分を気にしないように意識するとまた”気にしている”自分が眼前に現れる。地獄みたいなループに陥り、やがて心が壊れて終了。またもや今年もベッドに項垂れる萎れた花のような生活を繰り返す。嫌だ嫌だ、もうそんなのはウンザリだ。気にすることも、気にしないことも、もうどうでもええわ。何だっていいわ。大小問わず、あらゆる雑念を諦めてしまえ。自分自身のことも、生きるとか死ぬとか、そんなんどっちだってええわ。もう勝手にする、勝手に生きるし、時が来れば勝手に死んでる。そんな諦念に唯一の救いを見出したことによって、ほんの少しだけ生活が回りだした感じがあるけれど、それさえも回し車を走るハムスターを見ている様で、何だかとても空虚な気持ちになる。

 

 

 

 頭の中を空っぽにすれば、このまま空に飛んで行けるの?。