[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0318 生活を愛する者

 

 最近思うようになったこと、わたしは生活を積み重ねるのが好きだ。

 

 これまでの行動が積み重なって現在の自分自身がつくられている。自分自身を一新したい時、過去をやり直すことはできないから、いまこの瞬間の行動を変えることが大事になる。寧ろ、それ以外にできることはほとんどない。そう考えると、「変わりたい」という願望があれば、やるかやらないか迷った時には一先ず取り組んだ方がいいだろう。取り組めば、良くも悪くもなにかが変わる。時間が経過すれば、それは大抵の場合”良いこと”の範疇に収まる場合が多い。やらぬ後悔よりやった後悔、そもそも悔やむ必要はどこにもなくて、いまの自分にとって必要なことに、次々と取り組んでいけばいい。

 

 思い返せば、ここ数年のわたしは生活を蔑ろにしていた。もうすべてが本当にどうでもよかったのだ、死にたかったから。酒が飲めればそれでよくて、それ以外のことはあまり考えていなかった。考えたくなかった。その中で唯一見つかったやりたいことが書く事で、そのことに対しても、ちゃんと向き合うことをしなかった。恐れていたんだな、失敗することに。評価されることに。書いて、読んで、酒飲んで、酒飲んで、寝る。仕事中もイライラすることが多くて、とても扱いにくい人間だったと思う。極めて軽度ではあるけれど、アルコール中毒だったのかもしれない。いまでも気を抜くと、ストロングゼロに手を伸ばしている自分がいる。一人で飲んだ後は、後悔する。その日一日をゴミ箱に廃棄したような、そんな寿命としての虚しさが部屋中に立ち込める。

 

 なんとなく、そんな生活に飽きてしまった。酒を飲むとなにも出来なくなるし、感性が鈍り、死にたくなる。読みたい本、観たい映画、会いたい人、行きたい場所、たくさんある。それなのに、家に閉じこもって酒を呷るばかりの人生は、わたしの人間性が腐敗するばかりだ。今でも希死念慮を追っぱらうことはできなくて、それでも、もう少しだけ、現在の自分自身と向き合いたい。そう思えるようになった。

 

 落ち着いている、わたしはとても、落ち着いている。どこまでも落下するように感じられた重力は、わたしに最底辺を与えてくれた。乱れに乱れ切った生活を整えることにした。朝は同じ時間に起きる / 毎日文章を書く / 運動をする / 呼吸を意識する / 時間を意識する / いつでも余裕を忘れない......etc。毎日同じことの繰り返しだけれど、目の前の物事に無心で取り組んでいると、自己が研ぎ澄まされていくような感覚になる。これがマインドフルネスというやつだろうか。一点集中していると、あらゆる雑念が取っ払らわれる。現在の自分を、とても心地よく受け容れられる。

 

 それでも不安定になる一日は訪れるもの。そんな時、多少の精神の揺らぎならば、生活に集中していると段々落ち着いてくる。誰かと話すこと、ご飯を食べること、お風呂に入ること、ベッドで眠ること。自分の中で当たり前になっている物事一つひとつに意識を向けながら取り組んでみると、なんだかこう、良い意味での浮遊感みたいな、素敵な感覚に包まれる瞬間があります。その感覚が自分を落ち着けてくれるというか、忘れていたことを思い出させてくれるというか。「あぁそうか、これが自分に優しくするということなのだな」という気持ちになるのでした。

 

 自分の生活に集中していれば、良い意味で他人のことなど気にならなくなる。なにか言われても、なにを思われても、「あら、そうなのね」という具合である。どうでもよい他人に構っている時間がもったいないのです。もちろん、大切なひとが困っていれば、喜んで時間を差し出したいと思っている。それ以外は、世間の反応とか自分に対する評価は、本当にどうでもいいことだった。わたしは、いまのこの生活が気に入っています。生活が好きになると、少しずつ自分のことも好きになってきて、「どうせ、死ぬ」から「どうせ、生きる」に変わっていった。わたしは明るい自殺志願者でありたい。その為に、自分のやりたいこと、できる限りたくさん取り組みたい。どうせわたしたち、百年後には全員亡骸なのだから。