[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0279 理由ばかりを探し求めて

 

 気が付けば暗闇を見つめていて、寝具の擦れる音を聞いていた。深夜3時過ぎに目が覚めた。中途覚醒のような半端なものではなく、これは間違いなく覚醒。季節の変わり目だからなのか、朝まで眠ることが難しくなっている。昨日も同じ時間に目が覚めた。もう少し寝てみようと思い二度寝を決行したところ、激しい悪夢にうなされて散々な目にあった。もうわたしは二度寝をしない、頭の中にある取扱説明書の中から”二度寝”という単語を削除した。

 

 朝と夜が入り混じった時間帯というのは何とも言えない気分であって、身体が少しだけ浮いているような気持ちになる。お若い隣人は今日も壁越しに大きな笑い声を届けてくれるし、一体何時まで起きてるんだよと心配になる。自分も血の気に溢れていた年頃はそんなものだったのだろうか。友人同士で集まって話しているだけで、朝日が顔を覗かせていた。あの時は眠ることを忘れていた、とは思うのだけれど、間違いなく現在の方が眠っていない。全ては早起きの限度を超越したこの時間帯が悪くて、過去を振り返ることも、騒音対象に間違いない隣人の若さを密かに応援していることも、その何もかもが無意識の中で量産を続けている。

 

 いつもより使える時間が多い為、何となくX(Twitter)を眺めていた。すると、一つのハッシュタグがトレンド入りしていた。

 

「#なんで生きてるの」

 

 そうかなるほど、この時間帯は生きることについて考える人が多いみたいだ。少しだけ、深夜が好きになった。見ず知らずの他人が様々な人生観を述べている中で、わたしにはその全てが正しいように感じた。結局、生きることも死ぬことも自己満足の範疇なのではないかとわたしは考えています。理由があっても、理由がなくても、生きていていい。それっぽい理由を適当に作ってもいいし、ガチガチに理由を練り固めてもいい。成功しなくてもいいし、最早幸せになろうともしなくていい。適当に時間を浪費して、緩やかに死んでいけばいい。辛くなってどうしようもなくなったら、なにもかもを手放してやめてしまえばいい。どうせ死ぬときは一人なのだから、それまでに寂しければ誰かと一緒になればいい。

 

 とてつもなく壮大な使命感を抱いて過ごす人生は素敵かもしれないけれど、別に何の目標もなく日銭を稼ぐような人生でも、当人が満足していればそれは間違いなく素晴らしい人生だと言える。死んだ後は無に帰すのだから、死ぬときに自分が満足できていればそれでいいよね。「人生は死ぬまでの暇つぶし」とはよく言ったものだけど、正にその通りだと思っていて、暇だから文章を書いたり、暇だから仕事をしたり、暇だから恋愛したりする。そう考えると割と人生の中はどうでもいいことで埋め尽くされていて、いま自分が悩んでいたり苦しんでいたりすることも、どうでもいいことが生み出した真にどうでもいいこと、だったりするのかもしれない。

 

 ここ数年にかけて今年の前半ぐらいまでは、ずっと死ぬことばかりを考えていました。自殺することばかりを、頭の中でシュミレーションしていました。それでも、現在もわたしは生きていて。それは死ぬことが出来なかったというよりも、希死念慮をズルズルと引き摺って気が付けばここまできていた、みたいな感覚です。現在はその想いが消滅したかと言われればそうではなくて、「死にたい」だったものが「うわ、死にてぇ」程度にはコンパクトになりました。たまたま現在が落ち着いているだけなのかもしれない、未来ではぶり返して嘆いているのかもしれないけれど、そのような予期不安でさえも、楽観視できている自分がいます。

 

 なにがキッカケで落ち着いてきたのかは定かではないけれど、ある時、苦悩の正体が「どうでもいいこと」の複合体なのだということに気が付いて、一気に心が楽になりました。そこから酒量が一気に減少して、投げやりになっていた文章にも毎日取り組み、暇つぶしがてらに仕事もして、人とたくさん関わるようになった。「どうせ死ぬから無駄」だったものが、「死ぬまで暇だからとりあえずやってみよか」に変わった。もしかすると、これは単なる躁なのかもしれないと疑心を拭えなかったけれど、いわゆる全能感みたいなものはなくて、穏やかに気力が沸いてくるような、そういう感じです。

 

 例えば、いま目の前に「これを押せば瞬時に人生終幕スイッチ」を差し出されれば、寸分の迷いなく押してしまうと思う。別にいつ終わっても構わない、それぐらいに自分の人生には満足しているから。だけど、現実にはそんなスイッチは存在していなくて、楽に終われる方法、なんてものは少なくともこの日本では確立されていない。だからわたしは、今日も終わりを待っていて、いつまで経っても訪れない”それ”に多少の嫌気が差しながらも、それまで暇を作らない為に興味関心で時間を埋めています。不安感情というのは思考の余白から生み出されるらしい。だから暇な時間が増えれば増えるほど、生まれた不安も大きくなる。わたしはお酒を飲むと、何も出来なくなります。だから暇な時間ばかりが増えて、その時間をまたアルコールで埋めて、不安ばかりが大きくなって、身動きが取れなくなっていたのかもしれない、どうしようもなく愚かだね。

 

 そんな訳だから、あなたも、わたしも、見ず知らずの匿名も、生きていていいんだよ。もし、「#なんで生きてるの」を考えるのなら、とことん突き詰めて考えなさい。その時間は決して無駄にはならないから。そして、理由=暇つぶしが見つかった時には、限りある時間の多くを注ぎなさい。悩んでいる暇なんてなくなるから。最後に、それでも時間が余った時には、わたしと一緒にお酒を飲みなさい。お酒を飲みながら唯一出来ることが、人と会話を深めることだから。そうやって時には一緒に暇つぶしをしながら、満足して終わりを迎えられれば幸いです。