[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0303 それは思わぬ落とし穴

 

 ぐっすりと眠れた。ストレッチをした。運動をした。良い食事をした。お酒を飲まなかった...etc。身体に良いとされていることをこれでもかと存分に達成しているはずなのに、それなのに、心が落ち込むことがある。

 

 音楽を聴いてリラックスするとか、アロマの香りでリラックスするとか。心身に”良い”とされることはこれまでにたくさん試してきたけれど、果たしてそれらに効果があったのかは、よくわからない。例えば、睡眠に関してのこと。本を読んでいると7時間睡眠黄金説がよく提唱されている。実際に7時間眠ってみると、確かに気持ちはいいのだけれど、一日を通してみれば調子が優れないことが多い。なんだったら、ちょっと寝不足気味の方が、心は穏やかだったりする。素人故、論理的にどうこう説明することはできないけれど、感覚として、あまり眠らない方が調子がよいのだ(ちなみに、わたしはショートスリーパーではありません)。食事なども同様で、腸内環境を整えるような和食よりも、もう頭がバカになっているとしか思えないジャンクフードを取り入れる方が、調子が良くなる場面がある。

 

 クラシック音楽よりもハードロック、特別なアロマよりもいつもの香水、軽快な運動よりもふかふかベッドでごろ寝、飲まない酒よりもどこまでも深酒。統計的に世の中で”良い”とされていることが、自分に当てはまるとは限らないのだった。そりゃそうか、こんな単純なことに気がつくまでに、随分と時間を費やしてしまった。自分の感覚を、絶対的に信じてあげることが大事だった。だれかとだれかの総合的な意見なんて、自分にとってはただの戯言に過ぎなかった。ものすごくお酒が飲みたい時には、もうそれは存分にぶっ壊れるまで飲めばいい。誰かに会いたくなった時には、細かなしがらみなど全部無視して会いにいけばよかった。己が欲しているものに、もっと素直になればよかったんだ。

 

 昼夜逆転している友人とか、ずっとゲームにのめり込んでいる友人とか、ご飯よりも酒が主食と化している友人とか。本に書かれているあらゆる健康法を実践している人なんかよりも、ずっとずっと楽しそうに生きている。もちろんわたしにはその人の表面しか見えていなくて、本人なりの苦悩はきっとある訳であって。それでも、人生を楽しもうとするその姿勢は、いつ見ても爽やかで好ましく思うのであった。

 

 ここまでで何が言いたいのかというと、「もっと自分勝手に欲を張って生きていい」ということ。身体的健康を目指すことが、必ずしも精神的健康に繋がるとは限らない。否が応でも社会に抑圧され続ける生活の中で、わたし達には自分を解き放つ瞬間が必要なのだ。自身の感覚に添いながら、世間の声はぶっ飛ばしながら、欲望に忠実であることが大事なのだと思う。あくまでマナーとして謙虚さを携えながら、もっとエゴイストに生きていけばいいのだ。「私」という存在の唯一無二性を誇示しながら、あなたもわたしも、己が道を突き進んでいく。そういう人生って、いまよりもちょっぴり楽しそうだと思いませんか?

 

 

「そんなわたし、今夜はスコッチを飲みたい気分」