[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0133 毒りんご

 

 現在、[AM 4:30]で目覚めたのはもう少し前。

 

 早起き自慢をしたい訳ではない、寧ろ叶うことならばもう少し寝ていたい。

 

 アラームが鳴る随分前に目覚めてしまう。昨日は案外すんなりと眠ることが出来て、熟眠感もめっちゃある。二度寝しようかと試みたものの、程なく失敗に終わった。仕方なしにコーヒーを淹れて言葉を綴る。

 

 最近、ずっとこんな感じだ。どうしてこうなってしまったんだろう。やっぱり、ちょっとおかしくなってしまったのかもしれない。気が付いたら長時間眠れなくなっていた。だからといって日中眠気に襲われることもなくやり過ごせている。それが自分でも不思議で仕方がない。

 

 世間の声は皆一様に眠りなさいと言う。6時間以下の睡眠が二週間以上続くと、酩酊状態の人間と似たような脳の働きになるらしい。そんなこと言うと私の脳味噌は常に二日酔い状態ということになる。科学的に解明されている事実なのかもしれないけれど、必ずしも自分に当てはまる訳ではない。時にはエビデンスを疑い、自分自身を信じることも大事なのかもしれない。

 

 睡眠時間だけを見ると心許ないかもしれない。けれども、脳味噌は物凄い勢いで回転しているんだ。次々と言葉が浮かび上がってくるし、小説や映画などの作品が的確な質量で心の中に入ってくる。その回転量に心が耐えきれていないのかもしれない。だから情緒が不安定になるし、思考が予期せぬ方向にぶっ飛んでしまう。

 

 結局、これって睡眠不足?

 

 まぁ、そんなことどうだっていいか。きっと本人が不足していると思えばそうなるのだろうし、事足りていると思えれば必要充分の睡眠になる。不足しているからもう少し眠りたいのではなくて、単純に眠ることが好きだからもうちょっと寝ていたいと思うだけ。その思いは現在の自分にとって贅沢なのかもしれないな。日常生活に支障をきたしていないのだから大丈夫。その分寿命を酷使している感覚はあるけれど、眠れないものは仕方がない。

 

 最近、キマっちゃてるなと自分でも感じる瞬間があって。一種のトランス状態というか、所謂”ゾーンに入る”みたいな感覚がある。主に文章を書いている時が多くて、運動をしている時や本を読んでいる時にキマっちゃうこともある。なんていうか、言葉では説明できない気持ち良さがあって、脳味噌がフワフワと浮かび上がるような快感がある。多量のドーパミンが産出されているのだろうか、この感覚に陥るようになってからあまり眠れなくなったような気がする。これがいつまで続くのかわからないけど、いつまでも続いてくれて構わないと思っている。もっと入り込みたい、もっとのめり込んでみたい。どこまでも行ってしまいたい、たとえ自分一人になったとしても。

 

 

 それでも、もう少しだけ寝かしてくれやしませんか?。

 

 寝ることそのものは好きなんだよなぁ。やっぱり一日の終わりにベッドに滑り込む瞬間はとても安心するし、あとはそのまま瞼を閉じればいいだけだし。でも、眠っている時間が少なくなったからこそ、これまで以上にその時間を大切にするようになった。人間は愚かだ、失って初めてその大切さを実感する。そして、自分も愚かな人間の一部分だった。

 

 一人だから眠れないのであって、誰かと一緒ならもう少しちゃんと眠れるんじゃないか。なんてことを閃いたけれど、閃きが閃きとしての効用を伴わない。多分、もっと眠れなくなっちゃう、勿論それは色々な意味合いで。お話しすると目が冴えてしまうし、誰かと一緒の夜はテンションが上がってしまうことが多い。

 

 こんなことを言いながら、明日か明後日には10時間ぐらい眠っているかもしれない。そんな未来に期待しながら、いつもより長く感じる”今日”をどう生きようかと考えている。とりあえず、意味もなく早めに出社して、溜まった業務を蹴散らそうかしら。その後は近くにあるカフェで優雅に読書でもしようかしら。そんなことを想像するだけで、少しばかり楽しくなってくる。

 

 きっと未来は明るい、そう思える朝が訪れてくれてよかった。”暗澹の中に差し込む一縷の光”、それを実現させることが私の人生だから。

 

 

 眠れなければ、踊り狂うしかないでしょう?