[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0255 魚の夢見心地

 

 いかなる時も元気でいなさいとか馬鹿みたい。そりゃ落ち込む時だってあるでしょう、悲しい時苦しい時もあるでしょう、それが人間としてのありのままの姿です。メンタリティの強弱に生き方が左右されるばかりで、その姿は生きることに抵抗しているみたいだ。天気が悪い日は気持ちが沈みがち。そんなのは当人だけであって、そういう人間としての役割を果たしていることになる。自分自身で与えた役割に、多くの人間は固執している。

 沈みきったわたしは身体がどこにも存在しないかのようで、一周回ってそれは自由なのではないかと思う。愚かな勘違いから海底を心地良いと思い込み、ずっとこのままでいいやと世界を諦める。それはそれで、ひとつの在り方としては正しいのかもしれないけれど、傷付かずに済むのかもしれないけれど、それでもやっぱり頭の中にどこか靄がかかるというか、まぁそんな感じです。

 

 楽しいことをしている時に感じる喜びと、苦しさの中で見つけた僅かな楽しさに感じる喜び。どちらの方が密度濃く心に作用するのだろうと考えてみる。けれども、結局のところ楽しさを感じているのは”いま”なのであって、その瞬間にしか見いだせない喜びがある。ということは、現在が幾らかしんどかったとしても、その中で自分なりに活路を開拓することは可能だ。落ち込みに浸りきることは簡単です。反対に元気を偽り抵抗すれば余計に沈み込んでしまう。難しいよね。

 あくまで現状を冷静に観察して、ありのままの状態を一旦受け容れる。その上で少しのアクセントを加える。好きな動画や映画を垂れ流しにする、ハーゲンダッツを食べる、とにかく惰眠を貪る、話しを聞いてもらう。心が求めるものを体内に流し込み、ほんの少しだけフフッとなる状況に身を置く。そうすると、身も心も僅かながらに軽くなります。その少しばかりの浮遊が、水面にたどり着く為に必要な最初の一歩になります。

 

「しばらく沈んどけ、人間は浮くようにできてる」

 

 ここまで書いておいてなんだけど、別に沈んだままでいいんだよ、人間。海底にベットリと張り付いたままでもいい。沈んで沈んで沈みきってしまえば、あとは少しずつ浮かび上がるだけだ。大丈夫、人間の身体っていうのは、心っていうのはそういう風にできてるから。『そういう時もあるよね』って現状に納得することができれば、肩の力が抜けて、さっきまでより少しだけ浮上するんじゃないかな。

 

 そんな訳で、わたしはもう少しだけ沈んでいることにしますね。