[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.065 夜風に整列するテールランプ

 

 終電を逃した夜、自宅まで歩いて帰ることにした。約一時間の散歩は酔い覚ましに最適で、肌を切る夜風が季節の移ろいを感じさせる。夜道を歩いていると、景色よりも先に様々な人達が目に入ってくる。何か落し物を探しているかのように地面を見つめながらゆっくりと歩みを進める少女、道端で眠るホームレス、まだ一線を越えていない雰囲気の和やかな男女、駅前のベンチに座り込み電話をしている青年、自慢の車で女性を自宅前まで送り届けた後の寂しげなナンバープレート。終電後の世界というのは、夜空に投げかけられたそれはたくさんのため息達が目に見える気がする。そんな自分は傍観者でいるつもりだけど、他人から見れば「鼻歌を奏でながらゆったりと歩く黒い人」ぐらいの感じなのだろう。

 

 終電が消え去った後は、そこにいる人間のそれぞれが主役に見える。その場の人口数が急激に減少するといった要因もあるのかもしれない。同時に全てがモブキャラにも見える。”かつては優等生だった主役たち”といった表現が的確だろうか。皆一様に儚げに見える。帰る家がないようにも見えるし、帰りたくないようにも見える。みんな、寂しいのだ。寂しさがなければ、繁華街を彷徨うこともないだろう。寂しさがなければ、お家のふかふかベッドで眠りについているだろう。そして、わたしはそんな寂しさが好きだ。その寂しさに触れたいと思う、でも、けれど、そうやっていつも踏みとどまる自分もいる。美しいものはどこかしらに恐怖を含有している。その恐怖を上回る好奇心があればいいのだけれど、そこまでの思いは持ち合わせていない。夜に触れてしまうと、もう戻ってこれなくなりそうだと思う。そうやって、今日も私は帰路を踏みしめる。

 

 そうこうしているうちに自宅へ到着した私は、上手く眠ることが出来ずにYOUTUBE視聴マシンと化した。気が付けば[AM5:00]を表示していた端末を枕元に置き、吸い込まれるように眠りについた。

 

 [PM13:58]、会社での昼休憩を知らせるスマホのアラームで目が覚めた。いまこの瞬間が休日で本当によかったと思う。とてもよく眠れた満足感と、昼夜逆転のやってしまった感がせめぎ合いをしている。「今夜は上手く眠れないだろうなぁ」なんてことを考えながら、インスタントコーヒーを淹れる。外は晴天で気温も丁度良い。窓を開け室内の空気を入れ替える。通り抜ける外気の匂い、コーヒーの香り、たまに鼻をかすめるディフューザーの香り、揺れるカーテン、車の走行音、風の音、それら全てが上手く混ざり合い形を成している。あまりにも心地がよかったので、普段はすぐに閉めてしまうその窓をしばらく開けっぱなしにしてみることにした。

 

 今日は家でゆっくり過ごそうと決めた。嫌いな人に会わない一日、好きな人に会えない一日、誰にも会うことのない一日。読み進めていた本を読み切ろうと思った、観たかった映画を観ようと思った、そうやって自分を満たしてあげること。誰にも会わない一日は、自分とゆっくり対話する一日であるからして、わたしにとって大切な一日だ。そんな一日、誰にも会うことがない日が増えるほどに、人に対して優しくなれる。独りの時間が増えれば増えるほどに、人の温かさをより深く感じることが出来る。独りって素晴らしい、孤独って素晴らしいんだ。

 

 幸せってとても身近に存在している。いつも側にあるのに、わたし達はそれに気が付かないでいる。気が付いた時には、精一杯自分自身を愛でてあげる。ただそれだけ、それだけでいい。

 

 

 たまに、そんな幸せさえも投げ出したくなる夜がある

 それでも、わたし達は幸の中を散ってゆく。