[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.064 86,400

 

99人が馬鹿にしても、1人が応援してくれたら

それでいいじゃねぇか

 

1人が笑ったくれたら、それでいいじゃねぇか

 

江頭2:50

 

 

  4月からテレワークが廃止されたことによって、自由に使える時間が大幅に減ってしまった。これまで何の問題も無く出来ていたことが急に出来なくなるストレス。発生したストレスの影響で、また違う種類のストレス達も我先にと次々に湧き出てくる。そもそも「自由に使える時間」って何なんだ。時間は自分が所有する最大級の財産なんだから、どのように使おうが私の勝手だ。それなのに、私はその自由を売ってしまっている。対価として、月々生きていけるだけの一万円札を数十枚受け取っている。

 

「なんやそりゃ」

 

 っていう呆然とした感覚が私の心の大半を占めている。生きていく上で、お金はとても大切だ。そんなことは当たり前で、私もお金の重要性について過去に記事として投稿している。わかっている、わかっているんだけど、それでもこの世界に対して素直に首肯くことは難しい。

 

 仕事が忙しくてやりたいことに取り組めない、と人は言う。果たして本当にそうなのだろうか?。個人的に「時間が無い」は言い訳として機能しないと思っている。時間が無いのではない、上手な時間の扱い方を知らないだけだ。我々には唯一、時間だけが平等に与えられている。それなのに、自分の好きなことに取り組み続け結果を残している人もいれば、日々を何と無く消費しているだけで「俺には何もない」と嘆いている人間もいる。時間の扱いには様々な工夫や仕組み作りが必要になるが、その少しばかりの努力を行うだけで、今後の人生に陽光が差し込むかもしれない。人は単純にたくさんのお金を獲得するよりも、ただ自分が好きだと思えることに没頭出来ている時の方が、当人の幸福感は高いのだと私は思っている。それが例えお金にならなかったとしても。

 

 

・文章を書きたい

・本を読みたい

・映画を観たい

・ジムに行きたい

・写真を撮りにいきたい

・独立したい

・お酒を飲みたい

・色々な人と関わってみたい

 

 4月に入ってから、頭をかき混ぜながら悩みと向き合っていた。現在の私にはやりたいことが多すぎる。全てを手に入れて自分の心をタプタプに満たしてやりたいけれど、そんなことは難しい。少なくとも現在の私には不可能だ。それならば、優先順位を明確にするしかない。優先度の高い事柄に多くの時間を注ぎ込むこと。それは何の迷いも躊躇いもなく「文章を書くこと」になるだろう。

 

 この場所では投稿頻度に大きくバラつきがあるけれど、裏では割と毎日書いていたりする。それが一日の仕事を終えた後だったりすると上手く頭が働かなくて、気が付けば愚痴だらけの駄文になっていたりする(笑)。勿論そういった駄文は投稿されずにゴミ箱行きとなるんだけど、叶うのならばちゃんと毎日投稿していきたいな、と思っている。精神的に苦しいから/仕事で疲れているから/夜は眠くなるから/良い文章が思い浮かばないから、等々は灰塗れの焦げた燃えカスの言い訳に過ぎない。下らない、本当に下らないと自分で思った。本当に心からやりたいと思えることであれば、何としてでも時間を捻出するだろう。そんな泥だらけの腐った言い訳なんてぶっ飛ばす程に、強い動機がある筈なんだ。

 

 [甘えている、世界に、そして自分に。]

 

 一日の時間の使い方を見直すことにした。先ず、思考力がガス欠を起こしている仕事終わりの夜に自身の言葉を紡ぎ出すことは難しい。だから文章は朝にまとめて書くこと。そして行き帰りの通勤電車で加筆修正を行う。会社での業務中は適宜サボって余力を残しておく。定時になったら即帰宅、周囲の視線は全く気にしない。帰宅後はジムに行く→これまでは週5回トレーニングをしていたのだけど、このままだと自分の感性と向き合う時間を捻出することが難しい為に、週3回を目標にする。晩御飯を食べ終えたら、本を読んだりノートを書いたりする。自分はトレーニングをした夜にお酒を飲むと翌日めちゃくちゃしんどくなるので、心惜しいけれどもアルコール摂取を制限する。

 

 休日は、やりたいと思うことをやりまくる。細々としたことはやることリストならぬ”やりたいことリスト”としてメモしてあるので、休日に何をするか迷うことがなくなる。ひたすら本を読んだり、映画を観に行ったり、スマホを押し入れに投げ込んでからカフェに行ってボーッとしたり、友人と昼から酒を飲んだりする。もちろん文章は書く、朝から書く。

 

 何故、私はここまで書くことを必要としているのか。これは単なる執着なのだろうかとも思ったけれど、私は単純にやりたいと思うからやっている。書きたくて書いているし、それは一種の使命感みたいなものにも通ずるのかもしれない。自己表現をしたいという理由もあるけれど、"読んでくれる人がいる"だからこそ書いている。誰も読む人がいなければ、私は書き続けることができない。自身が紡いだ言葉に対して、感想をいただけると素直に嬉しい。例えそれが酷評であったとしても、それでも文章に目を通してくれているということだから。読んでいただけるだけでとても光栄に思える。

 

 わたしには確信がある。文章を書くことこそが、私の人生其の物なんだということ。言葉を得るために本を読む、表現力を取り入れる為に映画を観る、世界を感じる為に音楽を聴く。書く為に仕事をする。生活上の何もかもが文章に繋がっていて、昇華されている。そして、この文体で今後の生を切り拓いていく。それ以外の方法で、生きていくことなんて現在の私には考えられない。

 

 ここまで熱く語ってしまったけれど、「飽きたな」と思った時にはすぐに止める気でいる。自分の心にはいつだって素直でありたい。

 

 それでも尚、飽きることなく書き続けている私がいる。