[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.032 あなたにとっての必要な物

 

 10月に突入したこの世界では、緊急事態宣言が解除されていた。約一か月振りに飲食店でのアルコール提供が再開され、我々は外の空気と雑音を浴びながらお酒を飲むことが可能となった。「よっしゃ、飲みに行くぞ!」と意気込んでいた訳ではないけれど、偶々そういった機会が重なり二日連続で居酒屋にて酒を浴びた。

 

 久々に外でお酒を飲んだ感想として、一つは「この筆舌に尽くしがたいほどの美味しさ、その中に存在している郷愁」、そしてもう一つは「あれ、全く酔わない」ということだった。たった数か月ぽっち外で飲むことが出来なかっただけなのに、まるで数年単位でアルコールを摂取していなかったような錯覚、それは遠距離恋愛中である恋人とのランデブーそのものであり、それほどに膨大な量の懐かしさがお酒には含まれていて、わたしの体内が郷愁で埋め尽くされるまでにさほど時間はかからなかった。その美味しさに感動して次々と喉へハイボールを流し込む。「今なら瞬間接着剤でジョッキと掌が一体化してしまっても困る事がないだろう」。そんな具合で一体いつ酔えるのだろうかと訝りながらも、より深く酒を飲み進めていった。

 

 酒と並行して、机を占領する料理の軍勢を片っ端から駆逐していく。取り残された皿達はどこか物憂げな佇まいをしている。酒、料理、人間(友人恋人家族)が向かいに並べば、この人生にはそれ以外何も必要ないのではないかと思ってしまう。顔を見て話す、酒を飲む、料理を食す、これらを同時進行している時に生まれる心が温かくなるような、錯覚と紙一重でもあるそんな感覚が好きだ。その温かさがあれば、お洒落な服も、最新のiPhoneも、厳然たる地位も、より多くのお金さえも、もう他には何も要らない。上述した3つが揃っていることが理想的だけれど、どれか一つを捨てるとすれば、それは”料理”となる。残った酒と人間、どちらか一つを選べと言われれば冷や汗が出るほどに困り果ててしまうけれど、それでも最後は”人間”を残す選択をするのだろう。だってさ、「一人って寂しくない?」って思うんですよ。最近特に、ふとした瞬間に「寂しっ」とか唐突に感じたりする。それが孤独感かと問われるとまた少し違う感じで、「それなりに人生楽しんでるけど結局一人だとこんなものか」みたいな程よく混ざり込む空虚感をどういった名称で呼ぶべきなのか、私はずっとわからないままでいる。

 

 久々に外でお酒を飲んで気づいたことがある。一回の飲み会で消費する金額は、自分の場合だと大体1万円ぐらい。わたしの大好きな大好きなストロングゼロは、スーパーだと350ml/100円程度で販売されている。つまり、飲み会を一回我慢すれば浮いた1万円でストロングゼロを100缶ほど買える計算になる。1万円も出せばウイスキーでも上質なボトルを買う事が出来る。100缶もあれば一ヶ月間を乗り切ることが出来るし、上質なウイスキーを自宅で飲むという生活上の圧倒的余裕感を味わうことも可能だ。それと比較して、飲食店で1万円払って飲める酒量はせいぜい10杯前後でしょうか。料理代や飲食店としてのサービス料金も含まれているから当たり前といえば当たり前だけれど、それぞれを比較すると改めて愕然とした。ストロングゼロ100缶に囲まれて過ごす休日を味わってみたい。人を駄目にするソファに身を預けながら、人を駄目にするお酒に心を捧げる。”そこに親しい人がいてくれれば、それこそ最高ですよね”、なんてことを無意識に考えついてしまうものだから、それでも尚、私は居酒屋へと足を運ぶのだろう。欲しいウイスキーボトルの価格が6000円と知り、「うわ、めっちゃ高いな。」と怯んでしまい、数か月経った現在でも未だ購入することが出来ていない。しかし、飲みにいって1万円が消えることに関しては何も気にならないから不思議だ。アルコールの影響で判断能力が薄れているとかそういう訳ではなくて、単純にその対価以上に得るものがあると納得できているから何も気にならない。ごく稀にその1万円に対して「ミスったなぁ」と思うことはあるけれど、そういった相手とはそれ以降会わなくなることがほとんどで。こういうこと考えてる時間が好きで、何だか自分自身でも可笑しくなってくる。

 

 生物学上、人間は社会的動物だから、一人きりで生きていくことが出来ないように脳と心がプログラムされている。当事者の心が耐えきれなくなってしまうと”孤独死”といった命の失い方をしてしまう。そんな私たちが「寂しい」と感じることは当たり前で、そう感じた時には、感じたままのことを言葉にしていけば良いと思います。感情に相応しい言葉のレパートリーが無いと、抽象的な感情を言語化することは難しい。だからこそ、わたしたちは日々言葉に触れる。話すことも、聴くことも、書くことも、読むことも、すべて言葉との触れ合いで、無意識であっても触れ合った言葉のいくつかを吸収している。人間は過去に見聞きしたことがある言葉しか使うことが出来ません。あなたが、わたしが、口から発している全ての言葉が、過去に触れ合ったことのある言葉達なんです。言葉を知る、ということは、自分を知ることだと思います。自分を知ることが出来れば、相手に自分のことをより深く伝えることが出来る。言葉を知ることが出来れば、相手のことをより深く理解することが出来る。そうやって、人と人は繋がっていくのではないでしょうか。

 

 兎にも角にも、お酒って素晴らしい。”お酒での失敗”ではなく”お酒での成長”を日々積み重ねています。飲めば飲むほどお酒に対して強くなる、それはまるで自分自身の弱さを隠そうとしているように。

 

 

「是非とも、わっちと盃を交わしましょうや。」