[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0237 不足の美学

 

 いまの自分に足りないものを考えた時に、様々な形をした雑念が思い浮かぶ中で、一番の問題は寧ろ”満ち足りている”ことにあるんじゃないかと思いました。現在の自分に何となく満足していて、ある程度納得している。その状態があらゆる類の向上心を削いでいて、行動を阻みながら思考の幅を狭くしているのではないかと。

 

 例えば、愛されていないと感じるから愛されることを望むのであって、初めからしっかりと愛を感じていれば、無闇やたらに愛情を求めることもないでしょう。何かを強く求める状態になるには、自身の中に不足感を蔓延させる必要がある。全くもって満ち足りない、不足しているからその空白を埋めようと必死になれる。

 

 この考え方は諸刃の剣で、あまりにも大きくなり過ぎた求める気持ちに自分自身が飲み込まれてしまう場合がある。先ほどの例で言うと、愛を追い求めた結果、ある程度の愛情を得たとしても、そこに満足感が発生しなければ、彼はより深く大きい愛情を求めて日々を奔走することでしょう。必要以上を求める心は、対象を遠ざけてしまう。そして、また大きな不足感にさいなまれる。満足だったり不足だったりっていうのはあくまで自分の中で発生する感覚で、質量として正確に可視化することは出来ない。だからこそ加減が難しくて、満たされ過ぎても、不足が大きくなり過ぎても、自分が自分として機能しなくなる感覚があって、そこにはいくら言葉を尽くしても事足りない膨大な虚無が潜んでいる。

 

 過去を振り返ることはあまりしたくないのだけれど、私には毎日を死に物狂いで生きていた時期があった。その時は物凄く苦して悲しくて潰れてしまいそうだったけど、それ以上に得られたものがたくさんありました。家族、愛情、お金、仕事、心、その時のわたしにはたくさんのものが不足していて、周囲と比べては落ち込むことの繰り返し。それでも絶対に何もかもを手に入れてやるという意気込み、一種の反骨精神で様々なことを学習しながら、行動に落とし込みました。動けば動くほど世界が変わっていって、それでも世界を憎む気持ちは変わらなくて、学べば学ぶほどに、手にすれば手にするほどに、少しずつ虚しさが増していった。いくら手に入れても、これっぽちも満たされないじゃないか。そしてより多くを求めた結果、私の心が音も無く潰れました。

 

 ただ楽になりたかっただけの少年は、全てを察したかのように何もかもを諦めてしまった。もうなにもいらない、もう誰からも必要とされなくていい。そうすると、幾らか気持ちが楽になった。そこで初めて満足感を得られたのかもしれない。そこからは自分を満たす為に方向転換をした。これまではいつ何時でも介在していた他者と『私』を明確に分離する。結局、自分はひとりで満たされていればいいんだ。そう思うようになりました。酒を飲み、本を貪り、文章を書き、映画を鑑賞して、また酒を飲み、泥の様に眠る。その頃には溢れていた野心みたいなものはすっかり姿を消していて、過不足なく仕事をこなし金銭を得る。そうやって、ただ緩やかに死を願うばかりの毎日でした。

 

 最近になって「あれ自分なんでこんなことしてるんだっけ」と思うことが増えました。どうしてお酒飲んでるんだっけ?どうしてYOUTUBEばかり見てるんだっけ?どうして仕事してるんだっけ?どうして誰のことも信用できないんだっけ?どうして生きているんだっけ?どうして僕は自分ばかりを傷つけているのだろう。自分を満たし続けた果てにあった姿は、かつての望んでいた自分自身とはかけ離れていました。あくまで理想は理想だと理解してはいるけれど、現実を変える努力は怠りたくない。そう思っていた私でさえ、現実の大波に飲み込まれてしまった。満たされすぎても動けなくなることに、ようやくここで気がつきました。

 

 不足も満足も、極端になり過ぎるとよろしくない。そこでわたしは満たされている現在の状態から、少しずつ不足を生み出していくことを思いついた。先ずはアルコールとの向き合い方を変えること。飲む時は誰かと一緒に、もしくは外でいただく。家で一人きりでは飲まない。これだけで生活が大きく変わりました。それと同時に、一人でいる時間を大きく確保することにした。当方寂しがり屋の為、会いたくなって連絡をしてしまいがち。優しさに触れることである程度満足して安心してしまうから、その分自分との向き合い方を考えてみる。そうすることで飲酒量が極端に減り、温もりに触れる時間が減り、自分の苦悩と向き合う時間だけが増え、身体の中にポッカリと不足が生まれた。

 

 こうなってくると日々が物凄くつまらなく感じる。だからこそ変える為に動きたくなる。なにかを創りたいという気持ちがとても大きくなる。意欲という名の全てを、そして体力を、持て余しているような感覚でいます。だからこそたくさん書きたいと思うし、それ以上にたくさんの言葉を取り込みたいと思っている。不足も過ぎると心が枯れてしまうから、これからも適度に、そして意図的に不足を生み出していくことを、心に刻みながら歩いていきます。

 

 

 つまらないことが、楽しくて、嬉しい