[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.066 どうか、私のような大人には

 

 「赤子を抱いたお話し」

 

 先日、恩師のご自宅へお邪魔させていただいた。一年振りに会ったけれど、恩師も、旦那も、ペットのワンちゃんも、何も変わっていなかった。

 

 揺り籠の中、心地良さそうに眠る幼子がいた。生後二か月の赤ちゃんがそこにいた。恩師のご子息、顔立ちがハッキリとした一人の男の子がそこにいた。

 

 それさえも、その光景でさえも、私には何も変わっていない様に感じた。ずっと前からそこにいたような、随分と前から私は彼のことを知っているような気がした。ずっとずっと前から、彼は恩師の子だったような気がする。

 

 それほどまでに、赤ちゃんは家族の一員として馴染んでいた。君の寝顔を拝見するのも、泣き声を耳にするのも、それは素晴らしい柔らかな笑顔も、何もかもが初めてなのに。君のことを大切に抱きかかえるお母さんとお父さん、零れ落ちる笑み、溢れる母性。そういった光景一つ一つが新鮮であって、同時に、不思議な懐かしさに胸を抉られる自分がいた。

 

 

 [目の前に広がる光景が、私がこれまで思い描いてきた世界なのだということ。]

 

 

 この世界こそが光だ。温かくて、煌びやかで、正しい光。そんな光に憧れて、触れたくて、ずっとずっと這いつくばって生きてきたのかもしれない。いざ目の前に世界が現れると、触れることは疎か直視することさえ難しい。

 

 直視とは、ただ真正面から視野に入れ込むという事ではない。ここで言う直視とは、自分自身が当事者になった未来を想像することを差している。

 

 現在の自分には、到底不可能だと思った。未来の自分自身でさえも、成し遂げることは難しいだろうと感じた。理論上、人間が脳内で想像出来ることは現実に落とし込むことが可能らしい。だとすれば、この説が自分自身の不可能を立証してくれている。何もかも、現在の私には想像することが出来ないでいる。我が子を抱いている自分、愛する人と暮らしている自分、誰かと一緒にいる自分、その場所で笑っている自分。何もかも、その何もかもがイメージとして形を成すことのないまま、いつまで経ってもスポットライトは点灯しない。

 

 心の中、深く陰湿な何処かでは「独りきりで人生を終えるぐらいが似合ってるよ」と彼は言う。「それってちょっぴり寂しいよな」と弱音を吐くのはもう一方の彼だ。どちらの言い分にも深く感情移入することが出来る。だって、それが私自身だから。不可能を可能にするのが人間の力だ。その可能をもう一度不可能に押し戻すのもこれまた人間、そして、再起不能にしてしまうのも自分自身なのかもしれない。そうやって、そう思う事によって、私たちは少しずつ削られていく。他の誰でもない、自分自身に。

 

 

 色々なことを考えているうちに、赤ちゃんが目を覚ました。揺り籠で快活に泣き叫ぶ彼を抱き上げる母。途端に泣き止むその様子は生命の神秘を感ぜざるを得ない。

 

 「抱っこしてみる?」

 

 その一言で、順調に活動していた私の体内に散らばるアルコール成分が途端に大人しくなった。瞬時にあらゆる理性達が私の脳へと大集結する。恐る恐る、赤子を抱きかかえる。今年に入って一番真剣になった瞬間かもしれない。適切な抱き方をレクチャーしていただき、ご子息に負担がかからないようにする。そうやって、私はしばらくの間赤ちゃんを抱っこすることに成功した。

 

 とても、温かかった。

 純粋な温もりを分け与えてもらった。

 

 人間の三大欲求、[食欲/性欲/睡眠欲]の裏で共通している欲求は「温まりたい」、ということを最近本で読んだ。人間は生まれながらにして温もりを求めている。それに比例して、身体が冷えやすい冬の時期には鬱の発病率が格段に跳ね上がる。私たちは、大人になるにつれて温もりを忘れていく。かつては持っていたハズの、感じていたハズの、あの温かさを、いつまでも探し続けているんだろうか。もしくは、触れることの出来なかった、手の届くことがない温もりに、いつまでも憧れ続け、執着しているのだろうか。たくさんの肉体関係を築いたり、過食嘔吐で喘いだり、眠れなくなってしまったりするのは、そうすることによって欠落した自分自身を視界の外へと追いやろうとしているのだろうか。「私は大丈夫だよ」そうやっていつまでも自分に言い聞かせ続けるのだろうか。

 

 そうだ、わたし達はずっと寂しかったんだ。寂しさを感じるということは、温かさに触れたことがあるから。寂しさがあるからこそ、温かさを感じることが出来る。だとすれば、心の冷えだったり、際限なく散り積もる虚無も、悪くないのかもしれないな。

 

 

 彼に触れていたのは、ほんの数分だった。しかし、その数分の温もりで、私はしばらく生きていけそうな気がしている。大丈夫な気がしている。

 

 

 次会う時には、ジュースとストロングで乾杯をしよう。

 その時に改めて自己紹介をさせておくれ。