[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.047 視点を変えればそれも雪花

 

「今年最初の雪の華を」

 

雪の華 / 中島美嘉

 

 耳が擦り切れるぐらい何度も何度も聴いたこの歌、中島美嘉さんは何度でも”今年最初の雪の華”というフレーズを私に語りかけてくれる。しかし、私に訪れたのは雪の華ではなく、”今年最初の二日酔い”であった。

 

 昨日は素直に家へと変えることが難しい夜だった。仕事終わりに夜の街を彷徨い、暖を求めてカフェに入った。夜が一段と冷え込むようになったことで、必然的に暖かい空間の有難みも増す。ソファ席に座りホットコーヒーを注文する。ソーサーに少しだけ溢れたコーヒーが手作り感を私に意識させてくれる。夜に飲むコーヒーは、大人にだけ許された特権みたいな感覚があって好きだ。特別な時間を暖かい空間でただのんびりと過ごす。それだけで贅沢過ぎるぐらいに思えたけれど、何だか物足りなさがあった。

 

 酒だ。アルコールだけがこの夜に不足している。

 

 人間とは欲張りな生き物で、勿論わたしもその欲張りな人間の一人だった。酒が足りない、こんな夜にはアルコールが欲しい。そう思い立った私は、カフェを後にした。繁華街を彩る煌びやかなネオン照明が私の眼球を焼く、種々雑多な声音が私の耳を切りつける、そして街灯に浮かび上がるいくつもの笑顔に心を締め上げられる。別に人間が怖いわけでも、憎いわけでもない。けれども、歩行している全ての生き物が今夜のわたしとの相性が悪い。そのことを理解していたからこそ、足早にBARへと駆け込んだ。

 

 店内に客は一人もいなかった。見知らぬバーテンダー、たった一人の客。こうなってしまうと、嫌でもバーテンダーが話しかけてくる。丁寧なラッピングを施したありきたりな会話をありきたりな切り口でありきたりに差し出す。私の心の中のAdoちゃんが「うっせえわ」と怒鳴り散らす。「お仕事帰りですか?」よりも「孤独なんですね」が欲しい、「よくお一人で飲みに行かれるんですか?」よりも「友達がいないんですね」を頂戴よ。

 

 しかし、私も最低限の大人であるからして、同じくありきたりな返答をして会話を成立させていく。バーテンダーや接客業の方と話しをする時に心がけていることが一つあって、それは「自分のことを話さない」ということだ。これは生きていく中で基本原則として私の中に根付いていることなのだけど、接客業の方を相手にするときは特に注意している。自分の話しは文章として昇華できれば、それで充分だと思っている。

 普段、客と話す時は聞き手に回ることが多いバーテンダー。だからこそ、とことんバーテンダーに話させる。そうすると、パッと表情が明るくなる瞬間があって、私はその表情が好きだ。自己顕示欲の露呈、承認欲が埋まる音、そこから生み出される溌剌とした表情はとても可愛らしいと思う。だからこそ、もっと話してほしいとも思う。建前も私情も何もかもを混同させてしまって、言葉として口から吐き出してほしい。

 

 そのうちにどんどん会話が弾んでいった。そのバーテンダーは知人繋がりで名称上わたしのことを認知していたらしく、わたしも同様に相手のことを名称上認知していた。点と点がつながったある瞬間に会話が爆発した。何を話したのか詳しくは覚えていないけれど、とにかく楽しかったことだけを覚えている。気が付けば終電は姿を晦ましていたし、ウイスキーオンザロックを10杯以上平らげていた私は、やっとのことで酔いの回り具合を確信した。

 

 その後どういう足取りで帰ったのかはよく覚えていない。しかし、目が覚めるとベッドマットレスと掛け布団が優しく私を包み込んでいた。着替えも済ませているし、風呂に入った形跡もある。フローリングに散乱した脱ぎ捨てられた衣服だけが、昨夜の惨状を物語っている。何はともあれ、清潔な状態で眠りについていた自分を誇らしく思う。唯一の特技「どれだけ酔って帰っても、風呂に入って着替えてから眠りにつく」が発動したのだ。(最近この特技を褒められる機会があったので、誇らしさが増している部分がある)

 

 自分自身を誇らしく思うと同時に、激しい頭痛と倦怠感が襲ってきた。しかし吐き気は無い。それだけが唯一の救いだと安堵したのも束の間で、1時間後には嘔吐していた。今回は綺麗に便器の内側へと収めることが出来た。一度に多量の残留物を吐き出したことで、その後は吐き気が込み上げることなくやり過ごすことが出来た。そして、私は一日を無駄にした。

 

 これは私だけなのかもしれないが、二日酔い真っ只中の時は性欲が増し増しになる。すごく苦しいし、起き上がることすら憚られる程の僅かな体力、消えかかった生命の灯火。そんな中で理不尽に湧き上がる性欲が憎らしい。これはあくまで推測だけど、人間の本能が[二日酔い=生命の危機]と察知して、子孫を残すよう働きかけているのではないか。こんな時でも種を残そうと必死になっている自分の本能が馬鹿馬鹿しく思えて、可笑しくなってしまう。入り乱れる吐き気と倦怠感、性欲と可笑しさ。これこそが二日酔いの醍醐味であり、もう二度と味わいたく無い醍醐味でもある。

 

 二日酔いが去った後に浴びる夜風が好きだ

 これまで何度味わったのだろう

 これから何度味わうことになるのだろう 

 

 そんなことを思いながらも

 今日もプルタブに指を添えている