[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.086 愛の痕跡

 

電話したいという人より、

電話されたいと願う人の方が圧倒的に多い。

会いたいと言う人より、

会いたいと言われたい人の方が圧倒的に多い。

誘う少数派が、誘われたい多数派に絶対勝つ。

暇なのも退屈なのも、

全部自分のせいにすると、解決は早くなる。

 

いつか別れる。でもそれは今日ではない / F

 

 

 私のiPhoneは通話着信とリマインダー機能を除いた全通知をOFFにしている。その上、iPhoneをほとんど触らないし見ない。依って、LINEが届いても長時間気づかないでいることがしばしば起こる。

 

 他人とメッセージや通話でコミュニケーションをとることが苦手です。相手の表情が見えないから、思わぬ語弊を生んでしまう可能性があるから等々、様々な理由があるけれど、一番は自分の時間をコントロール出来なくなるように感じるから。時間を”奪われる”と感じてしまう場合もある。誰かとコミュニケーションを取る時には、時間を決めた上で集中して取り組みたいと考えていて、だからこそ出来得る限り直接会いにいきたいと思っている。

 

 ”ピコン”、通知が来るとどうしても確認したくなる。

 いや駄目だ、今は目の前のことに集中しよう。

 

 ”ピコン”、また通知がきた誰からだろう。

 急用かもしれないし少しだけ確認しよう。

 

 ”ピコン”、”ポンッ”、”ピコン”、”ポンッ”、”ピコン”、、、

 受信、送信、受信、送信、受信、、、

 「あれ、私はいま何をやっていたんだっけ?」

 

 そんなある日、集中をかき乱す通知音に嫌気が差した私は、通知機能の8割をシャットダウンした。知らぬ間に重要なメッセージが届いているのではないかとドギマギしたけれど、自分に届くメッセージのほとんどに重要性が無いことが判明した。そもそも、重要な場合は直接会って話すだろうし、急を要する場合は電話で連絡が来る。そうやって、段々と通知音が鳴り響かない生活に順応していった。それが現在まで続いている。

 

 この挑戦の利点はたった一つだけ、それは自分の使える時間が物凄く増えたように感じるということだ。元々持っていた筈の時間、支配されていた時間を取り戻すことが出来る。それだけで、心と生活に充分なほどの余裕が生まれる。

 

 ただ、周囲の方からは「返信が遅い」等のクレームが入るかもしれないが、それも最初の内だけで、一年も経過した時には”そういう人間”という風に相手へ印象付けられている。人によっては理解してもらえないかもしれないけれど。

 

 そういう生活に慣れてくると、意味もなく誰かにテキストメッセージを送ったりすることが無くなる(酔っ払った時には送ったりするけど)。会話したいなら電話すればいいし、電話するぐらいなら直接会って、顔を見て話せばいいじゃない、と思ってしまう。気が付けば、自分にとってLINEなどのメッセージツールは、相手と会うための約束を取り付ける為の補助的なツールとして位置付けされていた。

 

 そういう訳で、自分からメッセージを送ることがほとんど無くなった。返信が遅いことがばれている為、誰かから雑談目的のメッセージが届くこともない。時たま、友人から食事の誘いをいただき、日時を取り決める。その程度の利用方法で、それで良いと満足していた。

 

 

 日常の中で、相手との会話の残像に出会うことが多々ある。

 

 例えば、会った時に相手が欲しいと言っていた物、ハマっている音楽、勧められたお店、身につけていた衣服、等々。相手の興味関心が向いていること、向くかもしれないと思うことに街中で出会う。そして、「そういえば、あの人はこんなこと言っていたな」と心の中で呟き、その場を後にする。

 

 ある時、この些細な心の呟きを形にして相手に伝えてみようと思った。会話の残像を撮影してLINEで送信した。撮影できないものは文字に起こしてメッセージとして送信した。そうすると、相手からのリアクションを受信することになる。そこにちょっぴり嬉しさを感じる。そうやって久々に軽い雑談をメッセージ形式でやり取りしていると、「久しぶりに会おうよ」という形で着地点に到達する。

 

 自分からメッセージを送ったことがきっかけとなり、会うことになる。長らく会っていなかった人、もう会うことはないだろうと勝手に幕を下ろしていた人、ついこの間会ったばかりの人、会えないと思って諦めていた人。決して人数が多い訳ではないけれど、自分にとっては濃厚なひと時を過ごし、様々な相手との関係性を再認識する。忘れていた感覚を思い出せたというよりも、忘れていたことそれ自体を忘れたような、そんな感覚。

 

 自分から連絡をしたから会えた。連絡をしなかったらもう会えなかったかもしれない。やっぱり、自分から動かなければ世界は変わらない。いつもつまらなそうにしている心の表情は、自分自身が作り出したもの。その場に居座ったままではいつまで経っても現状は変わらない。相手のことを頭の中だけで考えるだけではなく、言葉にして伝えていきたい。伝えなければ、相手との関係性は何も変わらない。

 

 それでも、”会いたい”と言われたいなと思う時もある。というよりも、常日頃思っていたりする。お誘いの連絡をいただいた時には、素直にとても嬉しい。そう思っている人が世の中の大半なのだろう。誘われる側よりも、誘う側の方に責任がのしかかる気がする。誘った側がプランを練り、お店の手配をしたりして、時には支払いさえも済ませたりする。「こちらから誘ったから」という一言はとてもスマートだけど、何もそこまでしてもらわなくても、お誘いの言葉をいただいた段階で充分に心は温かくなっているんだ。"会いたい”、その一言に救われる人間が間違いなく存在している。

 

 だからこそ、これからも言葉として思いを伝えていきたい。突然の連絡というのは、細やかな爆弾を相手に贈ることだと思っている。全身を負傷する程の爆風ではなく、皮膚の表面をチクリと刺す程度の微風。その刺激が新たなる循環を生み出し、関係性を構築していく。あまりにも何度も贈ると、刺激が積み重なり負担となってしまうから、加減が難しいところなのだけれど。

 

 そもそも、相手のことを相当好きでない限り、自分から誘うことなんて出来やしない。ということは、誘いたいと思える相手がいるという現状は、とても恵まれていることなのかもしれないな。

 

 これからも、鳴ることが無い私のiPhoneで愛を伝えていこう。不定期ながら細やかな爆弾を贈りつけていこうと思う。あなたがいなくなっても私は生きていける、きっとあなたも私を忘れて生きていける。その上で言いたいことは、あなたがいてくれた方がもっと愉快でいられるということ。ほんの少しでも楽しく生きられる、理由などただ一つそれだけでいい。

 

 

 わたしは、今日も爆弾を作り続ける。