[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.059 心に傷を携えながら

 

 最近、様々な出来事があり気分が沈みがちな日が続いた。鮮明に感じられる重力、何もする気になれない、心が動かない。そんな日々を繰り返しながらも、このままではいけないといった思いがあり、やがてその思いは焦りへと変わる。

 

 焦ったって何一ついいことなんてないんだよ人生。ある日そう思い立った僕は、意識的に生活の全てをスローペースにしてみた。行動すべてがゆっくりになることによって誰かに迷惑がかかっても仕方がない、それよりも自分の心の静寂が最優先だと思った。

 人生の速度を限界まで落としてみると、今までは見えなかった微細な物事が見えるようになる。時間の流れは勿論、景色だったり、飲食物の味わい、他人の表情や機微が鮮明に眼前へと浮かび上がる。それだけで、何故か人生が急激に変化したような気がして、ほんの少しだけ、活路を見出せたような錯覚に陥る。

 

 錯覚も信じ込めば真実になることを、私は知っている。だからこそ私はスピードを落とし続けた。「スローライフ」と表現すればかっこが付くけど、悪く言えばただの鈍間なんだと思う。”まぁ、それでもいいや”と開き直れる程度には心の回復を実感することが出来ている自分がいた。

 

 そんな生活をしばらく続けていると、ふと「人に会いたい」という感情が浮かび上がった。一人で食べるご飯に対して急激に侘しさを感じるようになった。なんかこの感じは10代の頃を思い出すなぁ、と少しばかりの感傷に浸りながら、数少ない知り合いたちにコンタクトを取った。心が発する欲求には、素直に従うべきだと考えるようになっていた。

 

 この数週間、色んな人に会った。会えなくても連絡をとった。中には絶望してしまうような出来事もあったけど、人間関係なんてそんなものだと割り切ることが出来た。嫌だと感じたなら、もう会わなければいい、それだけだ。私は物事を複雑に考えてしまいがちなところがあって、そんなだから精神が疲弊して腐食してしまうんだと思う。物事はシンプルに考えればいい。白とも黒ともいえない灰色でもいい。時には朱色になったっていいじゃない。気がつけば、その程度に寛容な思考が脳内に在中していた。

 

 先日、一人の友人と焼き鳥屋で話していた時に、「○○(本名)の周りの人って、みんな優しくない?」と言われたことがとても印象的だった。そう言われたので改めて考えてみると、確かに周囲の方々はみんな私に優しくしてくれる。考えれば考えるほどにめっちゃ優しい。”僕は人に恵まれている”だったり、”世界は僕に優しい構造をしている”みたいなことを吹聴していた時期もあったけれど(思い返すと恥ずかしい)、それもあながち間違いではなかったのかもしれない。

 

 昔から割と自分は思い付きで行動してしまうタイプで、相手の家に突然お邪魔したりすることが多い。突然押しかけて料理をご馳走になった挙句、家中のお酒を飲み干したり、奈良の大仏像を彷彿とさせる佇まいでその場に鎮座して延々とテレビ画面を眺め続けたり、翌朝まで一人でRPGゲームをプレイしたりしている。こうやって文字として書き記すと如何に自分が駄目人間なのかが露わになる。

 他にも、会いたいと思った人を突然呼び出してご飯に付き合ってもらったり、時には相手の実家にお邪魔させてもらうこと、既婚の方で家事や子育てが忙しいのにも関わらず下らない悩みを相談してしまうこと、そんなことを幾度となく繰り返しているにも関わらず、それでも繋がり続けてくれている方々には感謝することしか出来ない。

 

 なんか不思議だなって思うんです。自分にはその優しさに対する魅力が伴っていないのに、なぜこれ程までに皆さんは優しくしてくれるのだろうって。これは卑下でもなんでもなくて、ただの事実です。自分はただ優しさの恩恵を享受するだけで、相手に対して何も返すことは出来ていないのに。

 

 

 

 そんな優しい方々に囲まれている事実を、相手から指摘されたことによって、こうやって文章にすることによって、改めて痛感しています。自分の本名はごく一般的な名前にも関わらず、日本で他に同じ読み方をする人はいないんじゃないか?と思うぐらいに当て字的な読みをしています。随分と前に、父親から唐突に名前の意味を説明されたことがあります。

 

「名前の意味はな、どれだけ絶望的で困難な状況であっても、周囲の方たちが手を差し伸べてくれて何とか乗り越えることができる、って意味が込められてる」

 

 それを聞いた瞬時に浮かんだ言葉が「いや、めっちゃ他力本願やん」でした。でも、実際その通りになっていて、これまで幾度となく危ない橋を渡ってきたけれど、色んな方から助け舟を出していただき今日まで生き続けることが出来ています。例え、他力本願からの圧倒的楽観主義だったとしても、それで今日まで生きて来られたのだからそれでいいじゃない。

 

 そんなこと言うと誰かから嫌われたり怒られたりしてしまうかもしれないけれど、それはそれで仕方がないと思います。優しくしてくれる方にはこちらも優しく在りたいと思えるし、嫌ったり怒ったりする方達に対してこちらは無感情ですから。人は変わる生き物です、自分も相手も例外なく。それらの悪感情を察知する能力には割と長けている方だと思っていて、少しでも感じた時には僕は相手から離れてしまう。

 

 本当に自分勝手ですよね。でもね、優しくない世界に費やす感情は持ち合わせていないんです。僕は、優しい世界に自分が持つ有形無形の全ての資産を費やしたいから。

 

 そうやってると、優しい世界が構築されていくんです。

 

 あえて言います、

 

 「世界は私に優しい構造をしている。」