[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.058 海から生えた砂粒

 

降る、雨音が雑音を掻き消した
萎縮する心に沁みるアルコール
錆びゆく身体、吐き出すならば
花を添えて太陽と木漏れ日に身を捧げろ

錯乱したり乖離したり依存したり
かつては塵だった虚無とか自殺が
今では大きな山と成り、聳え立つ影
切り落とすことさえ出来ればよかったのに

一片の花弁が空に散った

 

 

 

 わたし達が生きている世界は、とても汚い。深く観察すればするほどにその汚さが鮮明に見えてくる。今まで気がつかなかったことが不思議なぐらいに。

 

 時にロジカルや科学的証明が私たちの心を破壊することがある。立証された事実はどう頑張っても覆すことが出来ない。知らぬが仏、なんかではなくて、その事実を知った上で受け入れるしかないんだろう。

 

 心に新たな傷が増えることを恐れているのならば、いっそのこと傷だらけになった方がいい。これは自暴自棄とか自虐的思考とかそういったことではなくて、寧ろそれとは逆で随分とご立派な対象療法だと思うんです。

 

 傷付くことに慣れてしまえばいい、そういうものなんだと事実を受け入れてしまえばいい。そうやって幾度となく世界との戦闘を繰り返すことによって、人の心は磨かれていくんじゃないだろうか。傷一つない真っ新な球体よりも、無数の切り傷が刻まれた不規則な球体に魅力を感じてしまうのは、わたしだけなのでしょうか?。

 

 

 汚れが蔓延しているこの世界だからこそ、美しさが際立つ。辺り一面何もかも全てが美しい世界だなんて、これっぽちも綺麗ではない。美しさが恒常化してしまったら、美に対しての価値が消滅してしまう。そうなると、少しばかりの汚さが希少性を有することになり、それに対して世界からの需要が発生する。基盤が汚れで構築されているからこそ、美しさが美しさとして存在することが出来、私たちも綺麗と感じることが出来る。

 

 そうやって、いつまでもいつまでも美しさみたいなものを追い求めてしまうのは、自分自身が何よりも醜いからなのかもしれない。本当に美しい人は、その美しさに対して執着すらしないのだろう。「主観的な価値観への執着に塗れた醜いわたし」という一個人を私は受け入れなければならない。そして、出来れば愛してあげたいと思っている。

 

 自分自身の醜い部分や最低な部分を受け容れる。その過程では途方もないたくさんの苦しみ達が私の行く手を妨害してくるだろう。それでも、ボロボロになったとしても、私は歩き続ける、事実と向き合い続けなければならないんだ。そうすることでやっと、自分の好い部分や素敵な部分が見えてくる。「わたし」という存在を美醜問わず全て受け入れることで、初めて自分自身を愛することが出来るんだ。

 

 自分自身を愛することが出来なければ、他の何者をも愛することは出来ない。

 

 自分自身を愛する、ということを甘く見ていた私の心は、少しばかりの風でいとも簡単に崩壊してしまう程度の防壁しか持ち合わせていなかった。自分を守るために何かを積み上げようとしても、暴風が彼方へと追いやってしまう。その度に、より深い部分まで心に傷が付く。

 

「そして、何もかもを諦めた。」

 もう自分を守るものは何もいらない、風に対して抵抗もしない。身を曝し、風を受け止める覚悟を持った。半ば投げやりでもあり、そうするしかなかったのだけれど。

 

 そうしたら、不思議と風の勢いが和らいだ気がした。身体中を横切る緩やかな風が寧ろ心地よくも感じる。身を曝したことにより余計な抵抗がなくなったからこそ、風の猛威が軽減されたのであった。

 

「これが世界の真理なのか、下らねぇ」

少年は呆気に取られ、笑ってしまった。