[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0257 Dream END.

 

 一体あれは何だったんだろうな、ばかりで構成されている人生。今思い返せば不可思議なことばかりが起きていて、その予測の出来なさ加減に何だかんだ生かされている。荒れ狂うばかりの心を落ち着けるのが上手くなって、やりたいことが見つかった。代償として失ったものはたくさんあるのだけれど、もう何を失ったのかさえ思い出せないでいる。

 

 いまこうして文章を書いていること自体が奇跡的で、繋がりを感じる人間関係もこれまた尊い。未来ではバランスが崩れているかもしれないけれど、そうなることが当たり前で、在り方や関係性が変わっていくことが世の常なのだ。なにも恐れることなどなくて、やがて人はすべてを失う。愛する人も、大切な物も、最後には想い出さえも。

 だからもう少しだけ”いま”を大切にしながら、日常を送りたい。これまでたくさんの時間を無駄にしてきました。ただ生きることが恐ろしくて、現実から逃げることばかりを考えていた。楽な方ばかりに身を委ねて、気が付けば心が空洞化していた。やりたいことを後回しにして、やらないままの言い訳をたくさん生み出しました。

 そんなのって、とても悲しいじゃない。言い訳は全て燃やして灰になる。逃げることをやめて恐怖を楽しんでみる。それでもたまにはとことん駄目になる。そんな感じで生きるようにしたら、日々の足取りが少しだけ軽くなったように感じます。わたし達は生きる理由が無くても生きていける。けれども、理由があった方が幾らか生きやすくなるとわたしは考えています。趣味でも、仕事でも、好きなものを食べるでも、何だっていいのです。理由は自分で創り出すもので、その尺度を他人任せにしないことが大切。自分の頭で考えて、心と向き合って、深く想いを巡らせること。

 

 終わりの為に、少しだけ始めてみる。いまの中でしか出来ないことを、自分自身の中で何度も何度も噛み砕いて、心の栄養分にしていきたい。そう考えると最早多くのお金は必要なくて、地位も名誉も必要なくて、仕事すら辞めてしまおうかしらと清々しい気持ちになる。何もかもを欲しがるから、何一つとして手に入れられない。たった一つだけを手に入れる為に、いま夢中になれることをする。そしてやっぱり、最後に必要なのは『愛』ということになると思うのです。

 

 気が付けば2023年も半分以上が過ぎ去っていて、元気に照りつける夏の勢いさえも、その内いなくなってしまうのだろう。外を歩いているとチラホラ蝉の死骸が散らばっていて、僅かではあるけれど夏の終わりが見受けられる。そうやって渦中にいるにも関わらず、必ずその先に訪れる終幕ばかりを考えてしまうのはどうしてなのだろう。出社した直後に今日は飲んで帰ろうかと考えていたり、友人と一緒にいる時でさえも離れていく後ろ姿ばかりが脳裏をよぎる。自分自身もそうだ、自分がいなくなった世界のことを考えるのが常態化していて、それでも世界は何も変わらないままでいる。終わったことによって何かが変わる場合もあれば、時には変わらないままの場合もあって、それでもちょっぴり物悲しい気持ちになるのは、予測していたはずの『いつかの終わり』が、突然目の前に現れたからなのかもしれないね。