[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0258 清純な心

 

『石橋を叩いて渡る』という諺があるけど、叩き過ぎて渡る前に橋が崩壊するような、わたしはそんな人間です。良く言えば慎重派、オブラートを取り外せば愚か者。眼下には一本の川が流れている。橋が無くなってしまったから渡ることができなくて、そしてわたしは泳げない金づちなのであって、どうすることも出来ずその場に立ち尽くしている。

 

 何も考えずに勢いよく橋を渡り切ることが出来ればいいのだけれど、そういう訳にはいかない性分が行動の邪魔をする。そもそもこの橋はそんなに危険なものなんだろうか? あちらとこちらを行き来する為に構えられた物なのだから、作りとしてはある程度頑丈なのだと思う。それでも、その頑丈さを信じきれない自分がいて、疑心が確信に変わるまで、ひたすらにその場で強度を確かめている。何度も、何度も、何度も。納得という安心が頭の中に生まれないから、ずっと同じことばかりを繰り返す。

 

 行動によって人は変わるとよく言われている。だから私はいつまで経っても変わらなくて、変われていないのかもしれない。既に橋は崩れてしまったけれど、泳ぐことはできないけれど、木船で渡ることは出来ると思う。他の人に比べると幾らか出遅れることになるかもしれない、それでもこのまま身動きが取れずに終わってしまうことは嫌なんだ。

 その場にしゃがみ込んで泣いていることは簡単。助けを求めない限りは誰も手を差し伸べてはくれないし、声を上げたとて助けてもらえるとは限らない。結局のところ、自分が変わらなければ世界が変貌を遂げることはない。もうわたし達は赤子ではなくて、お母さんも存在しなくて、やっぱり自分で決めていくしかないんだよ。それでもまだ、あなたは泣き続けるというの? 

 

 結末はいつも残酷で、その現実を受け入れて初めて、新しい自分の姿が見えてくる。一見すると醜く思える容貌であっても、その上に一つの花が咲く事があります。木舟で川を横断している最中、幾つかの睡蓮が花を咲かせていた。もしも最短距離で橋を渡っていれば、この光景を目にすることはなかったでしょう。美しさを知ることなく、渡ったその先で惨敗していたかもしれない。そう考えると、時には遠回りをすることも悪くないね。

 効率的に進むことだけが正解とは限らない。あなたにはあなたの進み方がある。そして、わたしの進み方がある。人と違うということは、自分にしか見れない景色や風景があるということでもあって、だから少しばかり出遅れたからといって焦る必要はないんだよ。走りたければ走ればいい、歩きたければのんびりと歩いていけばいい。その先が恐ろしいと感じるならば慎重に進めばいいし、怖いもの知らずの進み方もカッコイイと思う。ただ、深く考えすぎて身動きが取れなくなってしまった時には、一度ゆっくり呼吸をして、自分がどう在りたいのか、その為にどうしたいのかを見つめられたらいいね。僕はそういう時にお酒を飲んでしまって、もっと動けなくなる時がよくあります。皆さんは決して真似しないように、なんてね。