[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0259 必要のない帰り道

撮影:友人

 そういえば、わたしは東京タワーを見たことがない。言わずと知れた観光名所であるにも関わらず、東京に行った際にはスルーしていた。そもそも頭の中に選択肢として存在していなかった。多分、その時のわたしに東京タワーは必要なくて、全くもって興味が無かったのだと思う。

 かといって、現在は必要としているかと言われると、素直に首肯することは難しい。直接見られたら嬉しい、機会があれば足を運びたいな、東京。みたいな感じで、僅かながらの興味は時間経過と共に忘れ去られていくのだろうか。

 

 きっと、生きている間には行くんだろうな。そうやって漠然とした考えで生きてきたけれど、いつまで経ってもどこにも出向かないままの私だった。時々、己の行動範囲の狭さに絶望する。いや、これは単に自分の腰の重さに原因があるんだけどね。色んな人の、様々な旅の話しをたくさん聞いてきて、一丁前に豆知識ばかりが増えていくけれど、わたしはその土地の香りも知らなければ、色も、温度も、人の流れも、その何もかもを知らないままでいる。話しを聞くだけで”少しだけ知った気になる”という現象は、”もっと知りたい!”を生み出して原動力になることもあれば、話しを聞いただけである程度満足してしまうこともある。自分の場合は、圧倒的に後者なのです。

 

 多分、このまま実物を見ることなく終わる。そういうものが現実にはたくさん存在しています。「行けたら行くわ」って言う人間は、それがどこであっても大抵の場合が来ないまま。「機会があれば~」「いいね、行ってみたいな」「羨ましい」そんな言葉ばかりを適当に打ち返して、きっと自分は行くことがないのだろうと小さく絶望する。わかってる、行動に移さないってことは、そこまでしてその場所に行きたいと思ってないってことだ。東京タワーだってそうだ、「見てみたいな」とは思っていても、実際に見に行かないということは本心では求めていないのだ。

 

 旅に出ない言い訳ばかりが量産されて、翼がないことを嘆いている。そんな自分がとても嫌いだ。だからこそ、そろそろぶっ壊してやろうと思うのです。東京タワーをこの目でちゃんと見る。排気ガスで汚れた空気を肺いっぱいに蓄える、目を刺すような朱色を捉える。規則正しく穏やかな毎日を送ることもいいけど、思い立ってそのまま旅に出るような、そんな不規則性を人生の中に発生させてやりたい。どこにだって行ける、どこにいても自分らしく在れる。君も、あなたも、未だ見たことがない、私でさえも。