[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.056 母が愛したキセルを咥えて

 

それでもなぜ生きようとするの

何も信じられないくせに

 

そんな寂しい期待で

 

「私とワルツを / 鬼束ちひろ

 

 

 

 皆さんは、空気に価値があると思いますか?

 

 存在していることが当たり前になっているから見落としがちだけれど、勿論空気には価値があるに決まっている。私たち人間は酸素がないと生きていくことが出来ないし、産まれてから死ぬまでの間ずっとずっとそれを必要としている。人はすぐに慣れてしまうから、たくさんの”当たり前”を生み出してしまうんです。空気や酸素が存在していることが当たり前になっているから、そういった大切なことが見えなくなってしまう。自分が存在していることが当たり前になっているから、軽薄に生命を消費してしまう。

 

 たくさんの”当たり前”が私たちを破壊するんだと思います

 

 今この瞬間、自分が地に足をつけ存在していること、そのものに対して違和感があります。「なんでいるんだろう」ってずっと思ってる。その思いを払拭することは出来なくて、その事実を覆い隠すほどの限りない無力感があってさ。それがもうどうしようもなく苦しくて。自分だけが苦しんでいるように感じているけれど、それは周囲を見渡す余裕がないから、そうなってしまう。心の余白がほしいかと問われると、素直に首肯くことは出来ないのだけれども。

 

 自分が自殺した時のことをよく考えています。特にこれといって意味はないんだけど、そうすると落ち着くんですね。自宅でするならこの方法、会社で行うならこの場所で、みたいな感じで色々とシュミレーションしてみると、積もりに積もった膨大な不安感が少しだけ柔らかくなる気がする。そうやって、何とか日々をやり過ごす。今日を生きることが出来れば、それだけで満点なんだから。自己否定だったり、揶揄だったり、破滅願望だったり、もうそんな複雑なことには一旦蓋をしてさ、百合の花を模られたベッドでゆっくりと目を閉じよう。

 

 誰にも届かない笑顔よりも、誰かに響く泣き顔の方がいい。深く根付いた傷を隠す為に、それ以上の傷を自身に施す。焼ける心は草原のようで、吹きすさぶ熱風がわたしに生を実感させるのだろうか。もつれた糸をほぐすことは出来ない、ならば全て焼いてしまえばいい。僅かに残った黒い煤だけが、生きていた理由を表現しているのだから。

 

 

ごめんなさいね