[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.050 ホメオスタシスの壊し方

 

恒常性

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』
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恒常性(こうじょうせい)ないしはホメオスタシスὅμοιοστάσιςhomeostasis)とは、生物において、その内部環境を一定の状態に保ちつづけようとする傾向のことである。

 

 

 人間には恒常性維持機能という生命保持装置が備わっている。上記の通り、人は変化を嫌うように出来ている。”現状維持”といった言葉が妥当だろうか、それでも私たちは日々の中で少しずつ変化していく。”少しずつ変わる”を日々繰り返していけば、気が付いた時には大きく変わっていることもあるだろうし、恒常性の抵抗も少ない。しかし、それでは駄目な場合がある。一度に大きく変わらなければ現状を打開することができない、その大きさに心身が慣れるまでしばらく続けなければならない、そんな時がある。大きく変わろうとすればするほど恒常性の抵抗も大きくなり、同時に苦痛が伴う。

 

 逆説的に考えれば、自身の変化を意識している時に苦痛が生じているということは、間違いなく変わり始めているということだ。いつまで続くかわからない、そんな苦しさだけど、その襲撃もいつかは幕引きとなる。それが一週間後なのか、一か月後なのか、一年後なのか、それは誰にも解らない。それでもいつかは終わる。人間は置かれた状況に適応できる生物だ。時間が経てばその苦痛にも慣れてしまう。ある種の苦痛に対するストレス耐性が形成されるんだ。そうなればこっちのもので、更なる変化を求めて新たなる苦痛へと歩みを進めることができる。そう考えると、心の中で暴れ回る苦痛もほんの少しだけ可愛らしく思えてくる。

 

 苦痛と不安が仲良しごっこをしている。互いの手と手を重ね合わせ、顔をこちらに向け微笑を浮かべている。その様相が、とても恐ろしく感じるのだ。おぞましい微笑、心を抉る繋がれた手と手。しかしそれさえも、自分の解釈次第だとしたら?。苦痛を苦痛として受け止めるから、不安を不安として受け止めようとするからこそ、無尽蔵に恐怖だけが増幅していく。対象への反応が更なる苦痛や不安を呼び起こす。それならばいっそ、腹を括って何もかもを”受け容れて”しまえばいい。苦痛も不安も、自分自身の内側から生み出された感情の一部に過ぎないのだから。内面に存在するものを取り除こうとしても、私たちは”それ”を実体として掴むことが出来ない。そこにあって当然なものを必死に無くそうと執着するからこそ、余計に反応が過剰になる。喜怒哀楽、いかなる類の感情や欲求であれども、そこに存在することが当たり前なんだ。当たり前なものに対して逐一反応してやることはない。あるがままに受け容れる、それでいいんだよきっと。

 

 

これまでの自分を、自分自身で破壊する

 

そうやって、自分自身を再構築していくんだ