[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.043 燃ゆる彼岸花

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「この世の不利益はすべて当人の能力不足」

 

東京喰種 / 石田スイ

 頭の中で考えが纏まらなくて身動きが取れなくなっていた時分、何にもやる気が起きず意味もなくインターネットを眺めていた。Googleの検索窓に”東京喰種”と打ち込み検索をかける。ほとんど無意識的に、右手の親指が、その文字達を先導していた。一連の流れに意味などない、私の本能がただ美しさを求めていた。そう、東京喰種は私の中に存在するあらゆる概念を覆した作品なのだから。

 

 インターネットの荒野を徘徊している内に、一つの記事が目に飛び込んできた。「石田スイ展/大丸梅田店13F特設会場にて開催中」。現状を打開したい、けれども肝心の打開策はどこにも見つからなくて、ただ膝を抱えながら外界の空気に畏怖することしか出来ない現状に一縷の光が差し込んだ気がした。縋りつける”何か”を求めていた私は、重く凝り固まった心を引きずりながらも会場へと足を運んだ。

 

 「一番好きな漫画は?」と問われた時には間髪を入れずに「東京喰種」と返答している。連載が終了した現在でも、私の中では頂点に君臨し続けている。いつどこでどのように、出会って、読み始めたのかはまったく覚えていない。世界に足を踏み入れた切っ掛けを忘却している点も自分自身で好ましく思う。何かを好きになった理由なんて、後になってしまえば極めて些細なことなのだろう。人間は大切なこと以外は忘れてしまう。

 

 わたしは基本的に、日常の中で漫画を読む機会はそう多くない。一つの作品にドハマリした時にはのめり込むように繰り返し読み込むこともあるけど、基本的には誰かに薦められたりしない限りは新作を読むことがない。あくまで自分自身の感覚として、漫画には”少しばかり想像の自由度が不足している”ような感覚がある。同じ読み物として小説を例に挙げるとすれば、小説は文字の、言葉の羅列のみで一つの物語が構成されていて、多くの作品がその一冊で完結する。そして我々人間が五感で感じるすべてのことを、連なる言葉達から想像する(私はこの想像行為がとても好きです)。対して漫画は、描写された幾数もの”絵”を主体として物語が進行する。細やかに描かれたキャラクター像も、風景も、ある程度の情報を読み手の視覚情報から得ることができる。描かれたキャラクター達が、吹き出しの中に自身の言葉を放出している。これは語弊があるかもしれないけれど、いい意味で”そこまで頭を使わなくても気楽に読める”のが漫画のメリットだと思っていて。相応のデメリットとして想像の自由度にある程度の縛りが生じてしまう、というのが漫画に対するわたしの解釈です。

 

 小説を読んでいると、「眼が文字を追っているだけで脳内で言葉として変換されない」みたいなことが時折起こることがある。こういう時は大抵精神が疲弊している時で、こういう時にこそ漫画は良い。小説と比べると少ない文字数、眼前に広がる世界=描写を感じ取る眼球の動きに精神が癒される。少ない文字数だからこそ、自分に響く言葉だったり、突き刺さる言葉があって、小説や映画とはまた違った言葉の感じ方を好ましく思う。

 そんな中でも、”東京喰種”は群を抜いている。キャラクターデザイン/風景/ワードセンス/ストーリー性、あらゆる面で他の作品とは違う、異質な存在だと思う。私は絵に関して全く知識がないのだけれど、そんな素人でも感じるその圧倒的な描写の美しさには驚きを隠すことが出来ない。巻数を重ねるにつれて、美しさのクオリティも増していく。そんな石田スイさんの芸術センスに思わず嫉妬してしまう自分がいる。何も考えずに、頭の中を一旦空っぽにした状態で心が向くままに芸術を享受できる、それらの彩りで心の中を満たすことができる。そんなかけがえのない作品が”東京喰種”です。

 

 展示会場は、もちろんのこと私の”好き”で埋め尽くされていた。映像作品から始まる世界観に眼球を伝って幸福が生み出される。その中でも、”石田スイ先生へのQ&A”という100を超える質問と回答のプレートが会場内に散りばめられていたのが印象深い。作品に対しての質問から一個人としての作者への質問まで、様々な質問に対してユーモアを交えながら直筆で回答している。それら一つ一つの回答をゆっくりと読み込んでいるだけで、2時間が経過していた。それほどまでに引き込まれる言葉の表現力には、ただ脱帽することしか出来ない。「天才って、行動あってこその天才なんだ。」という当たり前の事実を改めて痛感した。当たり前のことを当たり前のこととして続ける。時には当たり前で無くなったりすることもあるだろう、それでもただひたすらに続けなければならない。続けることを、ずっと続けなければならない。たとえ一人ぼっちになったとしても。

 

 

 作品への愛が溢れすぎて、当記事を認めるまでに長い時間を費やしてしまった。何をどういう風に書けばいいのか、頭の中で言葉が纏まらない。ここまで書いてみたものの、まだまだ不完全であり未完成だと思っている。

 

 けど、それでいいんだ。これから少しずつ完成に近づけていけばいい。そうする為には、これからも続けなければならない。種を撒かなければ花は咲かない。そして咲くためには水が必要だ。その水は誰かが注いでくれた水かもしれないし、気まぐれに降り注ぐ雨かもしれない。何かを創るということは、種を撒くということだ。水がなければ枯れてしまうその種子を、それでも撒き続けるしかない。

 

そうやってわたし達は生きていくんだ。