[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0381 消えた主人公

 

 先日、久しぶりに友人と飲んだ。仕事が終わってLINEを確認すると一件のメッセージ、既に飲んでおられるということで寸分の迷いなく瞬時に合流。たった数か月会っていなかっただけなのに、それはもうなんだか随分と時が経ってしまったかのように感じる。生きてる、友人も、わたしも、また生きて会うことができて嬉しい。大袈裟かしら? いつだって、今日が最後になる可能性が多分に含まれておる。実際、何気なくご飯にいったきり、もう会わなくなった人、会えなくなった人、たくさんいる。その誰も彼もが例外ではない、また会えたこと、再会できることは正しく奇跡に等しいだろう。

 

 今回で確信したんだけど、わたしは心から楽しいと思える人とお酒を飲んでいる時、摂取量を限界突破してしまう傾向がある。楽しくて楽しくてたまらない、今日世界が滅ぶことを願いながら、無遠慮に体内へ流れ込むアルコール。快と不快は相互作用しているらしく、翌日には見事惨敗している。何回繰り返すねん、酒鬱が容赦なくその後もズルズル心にのしかかる。0か100か、飲むか飲まないか、いかんせん白黒思考がよろしくないね。ほどほどにお酒を嗜む未来、この先もやってきそうにありません。

 

 あたまの中が圧迫されて潰れそう、おかしくなっちゃって候。呼吸を整えることが精一杯だ。いつまでたっても愛を伝えることが不器用みたい、生きることもそれに等しい。ずっとずっと、独りでいる感覚が拭えなくて、でも誰にも頼れなくて、話しをきいてもらいたくて、みなそれぞれ家庭があって、全てを取りこぼしてしまった自分のこと、肯定は難しく否定気味で、いつまでも同じ場所ばかりグルグル回ってる。やめてやめて、もう自分を傷つけることは終わりにして。

 

 人生そのものが一つの映画作品なのだとすれば、この物語の主人公は「私」のはずなのに、その役割を放棄して自己否定知らんぷり。どんな作品にしようかしら、どんな物語にしようかしら、考えている余裕などなく、あたまの中に余白などなく、早く終わることばかりを祈り続けている。人気低迷からの打ち切り漫画のように、ある日突然「今日でこの作品は終わりですよ」と言われれば、どれほどまでに救われるだろうか。都合がつかないのが、予測不能なのが人生で、だからこそ作品として面白くなる。あらゆるロジックを駆使しても、感情がその全てを燃やし尽くして、物語の進行を妨げている。どうすればいいどうすれば、それは自分のあたまで考えること、周囲を見渡しても誰もいなくて、この作品の愚かさだけを思い知るのであった。

 

 

笑えてくる、もうそこには誰もいないのに、

当の本人でさえ、消えかかっているのに、嗚呼。