[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0380 鳥籠のなかで

 

 過去のことばかり、変えられないことばかりが頭に浮かんでは死にたくなる。憂鬱、これまで忘れていたこと、思い出そうとしても思い出せなかったこと、次々とあたまの中にこんにちは。自然発生する過去の記憶、なにかが変わる前兆だったりするんだろうか。

 

 ここ最近、自分の本心に意識を向けるようにしています。「で、本心のあなたはどう思うの?」という言葉が心の口癖になっている。これまで散々、自分の意見を無視し続けてきた、見ないふりしてきたから、そろそろちゃんと向き合って受け入れていきたいと思いました。本心を意識する生活を続けると自分でも驚くことの連続で、食べたいと思っていたもの、欲しいと思っていたもの、したいと思っていたこと、割とそんなことなかったのだと気が付いたりする。豪華な生活よりも質素で静かな暮らしを、温かい家庭よりも自分の時間を、有名になることよりも地道に表現を続けることを、本当は身近にあったささやかな幸せに、気付かないままこれまでを生きていた。世間の声に踊らされて、欲しいと思わされて、自分自身を見失って、そんな自分を大切に思えるはずもなく、ただ蔑ろにしてただ傷つけてただ痛い痛いと泣いて。もうそういうことはやめにしよう、ただ純粋に、生きることに集中していたい。

 

 自分の本心と向き合い、直感を信じて行動に移す。そういう生活を続けているうちに過去があたまの中を漂うようになり、それはそれでちょっぴり苦しい。もしかすると、過去の自分が受け入れておくれと言っているのかもしれないなぁ。漠然とした考え、漠然と、故に過去の少年を想う。思えば、めちゃくちゃ可愛かったよなぁ、幼き過去よ。子どもを傷つけてはいけない、守ってあげたいと思うのに、骨が太くなり表情が垢抜け容姿が変われば、最早ぞんざいに扱ってもいいのでしょうか? 自立したと感じたら、自分を大切にすることを忘れてしまうのでしょうか? この世には集中を奪うものが多すぎる、気にしなくてはならないようなことが圧倒的に多すぎるのだ。本当は、自分を最優先にしてあげること、それだけできていればよかったのに、それよりも他人を優先してしまったり、仕事に流されてしまったり、偽愛に振り回されてしまったりする。それはそれで構わない、自分は納得しているからとそこで完結見ないフリ。その実は納得していると思い込んでいるだけで、現在を受け入れることが怖かった、本心へと一歩を踏み出して変わることが恐ろしかったんだ。

 

 愛されたいと嘆いた過去、愛されなくても構わないと思えるようになった現在。そのどちらもが自分自身で、その時の本心だった。過去のなかで本心を否定し続けた結果、項垂れる花は枯れる寸前であった。いまからでもまだ間に合う、豊かな水を与えたい。毎日、毎日、毎日、本心が発することに耳を傾けて、萎れた蕾を眺めていたい。壊れたあたまで愛を想う、世界の声なんて聞こえはしない、もういいでしょう? 自分が愛されることを許しあげてほしい。その道は決して簡単ではないかもしれないけど、その先に浮かんでいる表情はきっと微笑だから、どうか安心して突き進んでみて。いくら年月が経とうとも、容姿が変わっても、あの頃の可愛らしい少年は、少女は、間違いなくあなた自身なのだから。抱きしめてあげたいと思う。過去も、現在も、あなたのことも。