[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0376 自他ともに言えること

 

 思えばこの数年間、恋愛とやらをしていない。若かりし頃は来る日も来る日も恋愛に明け暮れていた(気がする)。恋人がいなくても好きな人はいた、なんだったらちょびっとずつの「好き」を何人かに分配したりしていた。それが今ではものの見事に感情が消失してしまった。気が付けば誰に対しても恋愛感情を抱かなくなっていた、抱けなくなっていた。

 

 元・恋愛脳、一部機能不全のまま今日を過ごす。いつからこうなってしまったんだろうか。最後に好きな人がいた時、めちゃくちゃに泣いた。自分の感情が別個体の生物であるかのように、最後には涙が止まらなかった。あの時あの瞬間、水分と共にわたしの恋愛感情はすべて流れ落ちてしまったのかもしれない。コンクリートを這う恋愛感情、日光に焼かれてさようなら。熱しやすく冷めやすい人間は、そもそも熱を感じることがなくなってしまった。冷ややか。

 

 そもそも恋愛って一体なんなんだ。生物としての子孫繫栄プログラムに則れば正当手段なんだろうけど、「本能」の二文字で要約できるような生温いもんじゃないだろうよ。どうして人は人を愛するんだろう、一緒に過ごしたいと、側にいることを願うのだろう。「自分の溝を埋めるために、優しいひとを利用しているだけなんじゃないか?」ある時、わたしはこう思いました。わたし自身のことを思いました。家を出たときから、当時の青年はずっと空虚で、淋しくてたまらなかった。家にひとりでいることが苦しかった。ポッカリ空いたその溝を埋めるために、愛されることを望んでいたのでは? 愛されるために愛していた、温かくて真っ赤な色をした液体で、心のなかにある欠落を埋めようとしていたのでは? 本当の本当に、その人のことを愛していた? 

 

「疑問符」

 

 過去の自分を尋問する、「はい」「いいえ」「いいえ」「はい」「いは」あたまの中がごちゃごちゃとする。それでも心のなかは整然としている。誰のことも好きではない。前提として、恋愛至上主義はいかがなものかと思うのだけれど、恋愛なんて結婚なんてしなくても全然生きていけるのだけれど、それでも、人を愛すること、心から愛しく思うことは、素晴らしいことだと思うんです。すべてをわかり合う事など不可能な他人同士が、共に道を進むことを選択する。それって本当に奇跡そのものだと思う。人によっては子を授かり、自分は親となり、同時にいつまでも誰かの子であり、家族というコミュニティを少しずつ形成していく。こう考えると、自分がいまこの瞬間生きていること、それ自体に良い意味で大きな違和感を覚える。生命というのは、そして愛というものは、たくさんの奇跡が積み重なってその形を成しているのだなぁ。

 

「自分のことを愛せない人間を、他人が愛そうとは思わない」

 

 はじめて目にしたとき、世の中の真理に触れたような感覚。そりゃそうだ、自分を蔑ろにしている人のこと、誰が抱きしめたいと思うのか。「勝手にやってろ」と思うのが世間であり他人でありわたしなのであった。本を読んでいると以下のようなことも書かれていた。

 

「自分のことが好きではないのに、他人を好きになることができるだろうか」

 

 目から鱗が落ちるとは正にこのことで、こんなにもシンプルなことに何故今まで気がつかなかったんだろう。自分のことを愛せないから、誰からも愛されない。自分のことが好きではないから、誰かのことも好きになれない。これだけ、たったこれだけのことだったのだ。自分に不足していたのは、たった一つの「自己愛」であった。

 

 思えば、恋愛の渦中にあったときは、良い意味でも悪い意味でも自分のことが好きだった、大好きだった。良く言えば自己愛、悪く言えばナルシシズム、それでも自分を大切にしていることに変わりはなかった。それなのに、と思う。いまを見てごらんなさい、こんなにも傷だらけになって、そのほとんどが自分で切りつけたもので、自分のこと大嫌いになっていた。何度も何度もリピートするけど、わたしは文章を書くことが好きです。書いている時間が幸せです。生み出すことに伴う苦しみはあるけれど、それも含めて無条件で全てを愛している。どうしてこんなにも好きなんだろうと考えた時、一つ思い浮かぶのは「文章を書いている自分が好き」ということでした。書いている時だけ、自分のことを好きでいられる、どれだけ駄目でもグッチグチャでも、その瞬間だけは、自分のことを抱きしめられる。真剣なこと書いていても、アホみたいなこと書いていても、なんでも、自分が一番自分らしくいられる。だから続けている、だから今日も書いている。そう考えると、やっぱり心の最深部では自分のこと好きになりたかったのだ。認めてあげたかったんだきっと。

 

 自分のことが嫌になって、現実から逃げるようになってから、誰のことも好きになれなくなった。そんな余裕がない部分、大いにあるけれど、そんなものは些細なことだった。わたしは失った自己愛を取り戻したい。自分のことを好きでありたい。基盤がしっかりと安定しているから、感情の余剰分で恋とか愛とかいうのが発生するのだ。与えることよりも、与えてもらうことよりも、先ずは自分自身を最大まで満たしてあげること。物語はそこからはじまる。このままじゃ、ずっと部屋の隅っこで体育座り、滑稽な亡骸が目に浮かぶ。いまは自分のことを好きになりたい。いつかきっと、だれかのこと愛せるようになってるからさ。