[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0375 散歩道

 

 歩くときに考えることは、いなくなりたいとか、身体が重いとか、そういうことではなくて、群れをなす雀、人間に慣れすぎた都会の鳩、鳴くカラス、風に揺れる木々、建設途中の高層マンション、コンクリートの感触、すれ違うひと、歩きタバコ、土の匂い、わたしの香り

 

 歩いているときはわたしが枠組みから解放される瞬間で、生きても死んでもいない、そのどちらでもない「無」になれるひと時。あらゆる物事に判断を下さず、ただありのままの姿と向き合う。眺める。ジッと見つめている。人間が人間である証明のひとつに、言語コミュニケーションが含まれるのなら、もうわたしは言葉なんて置き去りにしたい。歩いているときは、動物的でありたかった、人間である必要なんてどこにもなかった

 

 歩きながらなにかをするということは、なにもしていないのとおんなじで、たとえば歩きながら抱き合うことが難しいように、たとえば歩きながらご飯を食べることが難しいように、たとえば歩きながら字をかくことが難しいように。その気になればなんでも出来るんだろうけど、やっぱり歩くときは歩いていることだけに集中したい。一点に集中するということは、いまこの瞬間を生きている、それこそが生の証明なんである。タバコも、スマホも、愛し合うことも、すべて何もかも、一旦立ち止まって、集中のなかを生きていたい

 

 歩みのなかで空に広がったわたしの声は、予想だにしなかった大胆な声で、ずっとずっとその気持ちを無視してきたんだね。立ち止まることをしなかった、聞く耳を持たずただひたすらに歩き続けた。結果として迷子になって、どうしていまじぶんがここにいるのか、わからなくなってる。がむしゃらに歩き続けて、すこし疲れてしまったのだ、それは仕方がないこと、気が付かないフリばかりを繰り返していたね。地図をなくしたのにまだ歩き続けようとしている、そんなわたしにも驚きなのだけど、まぁまぁ急がずゆっくりと、ここらで一度地図を書き直しましょう。立ち止まって、自分の本心と向き合って、なるべく自分のことを好きでいられるように、駄目だと言って傷つけるのではなく、優しい言葉をかけられるように、安心して眠れるように