[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0364 思い込み、思い込み、思い込み、

 

「死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きることに真面目すぎるから」と歌ったのはamazarashiで、本当にもうこれが痛いほど胸に刺さる。真面目すぎるが故、一時的に脳を解放するためにお酒を飲むのだ、そして翌日に味わう酒鬱、逃れるためにまた今日も酒を呷る。いかんせん負のループである、難しいよね人生。

 

「難しいよね人生」

 

 これもまた思い込み。難しいと思い込んでおるだけなのです。極めて人生イージーと思ってらっしゃる方も存在している訳であって、まぁそりゃあ産まれ落ちた環境要因によって大きく変わってくるかもしれないけど、そんなこと言ってたらもっと人生難しくなってく。自分の生き方は、自分自身で決めるしかないのだ。楽勝と思うのも、無理難題に思うのも、各個人の自由なのである。それなのに、いつまでも頭を抱えている人間、そう、わたしのような人間は、なにをそこまで複雑に考えているんだろうか。自分自身に言ってやりたい、もっと気楽に生きていいんよ。早いとこ楽になっちゃって、愉快なお酒を味わいなさい、と。

 

 なんだか誰からも愛されていないような、そんな空虚さに押しつぶされそうではあるんだけど、でもなんとか堪えている自分がいて、頑張っておる自分がいて、自分で頑張ってるとか言うなよと思う自分もいて、もう世界に対して一切の希望を見いだせないような、マジでなんで生きてるんかわからんくなるような、食事労働排泄を繰り返す極めて人間に近いロボットのような、そんな毎日の中をジッと堪えている。

 

「あなたのことを愛している人、きっといるはず」

 

 こんな時、過去に友人からいただいた言葉を思い出す。その時は上手く言葉が出てこなくて「ほんまに?」としか返せなかった。改めていま考えると「ほんまのほんまに?」といった具合ではある。誰かが自分のことを愛しているなんて、夢物語のようで想像が難しい。恋人や家族がいるいないの問題ではなく、漠然と「誰からも愛されていない」と思い込んでいるのかもしれない。それ故の自己肯定感の急降下、存在そのものに価値を見出せなくなっている。よくない、よろしくない、現在は鬱の渦巻きにいて、私のあたまが正常に機能していないのだ。それだけ、ただそれだけのことで、誰からも愛されていないとか、そんなこと思わなくてよろしい。他人から見ればメンヘラちゃんで既読スルー、愛されないことが既成事実にならないように、心の耐性を整える必要があるみたいだ。

 

 

 

「東京喰種にな、『あなたの親は あなたを育てることに失敗した』ってセリフがあるねん」

 

「そんなんあったっけ?」

 

「それを言えばな、僕の親は僕を育てることに失敗してるよな(笑)」

 

「うーん、半分ぐらいは成功してるんちゃう?」

 

 先日、同僚とこのような会話をした。他人から見れば「全失敗」ってわけではないもんだ。どの部分が成功なんやろうか、あの時聞いてみればよかった。自分ではその答えが見えないぐらいには、視野と精神が疲れている。色んなことを考えて、やっぱり違うと落ち込んで、全てに意味がないと投げ出して、自分自身を否定する。自己否定が一番無意味なことなのに、そればかりに時間を費やしては生きるための明かりを失う。いつまで続くの暗い道のり、それを形作っているのは自分自身。そう、全ては思い込みなのであった。失敗作と思えばそこで終了、大成功とまではいかなくても、失敗は失敗なりに頑張れることがあって、過去には愛されたこともあったではないか。わたしは、愛されるに値する存在なのだ。そう思い込むことによって、なんとか精神を保とうとするも、やっぱりどこか心が痛々しくて気持ちが折れそうになるから困る。大丈夫、大丈夫、大丈夫、わたしは生きていて、世界のなかには、きっと、愛の前兆が散らばっているから。

 

 やっとの思いで少しだけ、ゆっくり呼吸を落ち着いて。