[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0339 いかなる時も冷静に

 

 首括りウィークエンド、廃れていく世界が消える。 

 

 どんどん人が離れていくね、それはもちろん自分のせい、何もかもが変わってしまったから。楽勝で余裕を演出、その実はちょっぴり喪失、もう何がなんなのかわからんのだ。たぶんきっと、そういう時期なんだろう。ピアノを弾くイメージでキーボードを打撃するほどに、わたしの中で「個」が確立されていく。それを見たたくさんの人、これまで愛してくれていた人が、綺麗な唾を吐きつけて退出。積もり積もるフラストレーション、創作で成り上がり排毒。頭がおかしくなれば、呼応するように心までもがおかしくなって、あれ、一体、わたしは何をしたいんだっけ? たくさん眠りたいのに考えれば考えるほど眠れなくなって、ただ現実と向き合うことでしか、自己を保つ方法が見つからなかった。「自己の解放」「自己の解放」自殺したカリスマが言っていた。解放されるのはどんな気持ちですか? よい気持ちですか? それは生きているよりも最高な心地ですか? わたしに羽は生えていなくて、ただ落下することしか与えれらないのだった。忘れられたい、言葉も存在も何もかもを、木端微塵に忘れ去られたひ。記憶のなかで残響が脳を刺す、「帰っておいで」と言われたいだけの人生でした。あんたの香りも、眩しいばかりの情景も、ただいまと言った声音も、そのなにもかもが思い出せない。引き出しの中で眠ったままで、ずるい、わたしが一番眠りたいのに。いつまでもいつまでも眠っていたいのに、そうすれば舌を切り落とさずに済むのに、嗚呼、これこそが至極真っ当の人生というものか、悲しい。モテたいと思うのは愛されたいから、認められたいと思うのも愛されたいから、愛されたいと願うことは、そこだけ切り取れば罪の香りが仄かに広がる。いいじゃないか、愛されたくても、満たされていなくても。死ぬまでの暇つぶしのなかで、ただ善人として生きることが正しい道として示されているけれど、それは性悪説が前提となっているからであって、わたしたち、もっと欲望のままに生きていいのよ。愛されたいと思うのは当然で、それって過去に愛されたことがある証拠で、その時の安堵とか幸福を、再び求めることのなにがいけないのでしょうか。とってもとっても人間らしいじゃない。それでこそ、人生って感じがするじゃないの。そのままでいい、あなたもわたしも、このままで全てが上手く回転した。それでもいまこの瞬間、どうしようもなく辛いときには、一体なにを、どのようにして眺めればいいのだろう。