[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0268 頭の中の魔物

 

 長時間熟睡すると頭がスッキリするのと同じくらい、眠っていない時ほど高波を打つテンションがある。長く眠ってスッキリする方がいいんだろうけど、眠れば眠るほどに一日の行動時間が減っていく。それに、謎のテンションを求めている時もあって、眠ることが勿体ないと感じる瞬間もある。睡眠は人間の本質、頭の良い子はたくさん眠る。だとすれば、眠らない子はお馬鹿な子? 知り合いに生まれながらにして短時間睡眠者がいるけれど、その方はとても仕事ができる人。夜遅くまで趣味や作業に没頭して、朝は問題なく目覚め仕事を開始する。とても羨ましい限りだと眺めているが、彼のご子息もまた短時間睡眠者のようで、これは完全に遺伝なのだと諦めにたどり着く。

 

 眠りたくないと願いながらも、眠らないと次々に心が故障していくばかりだ。だから最近はそれなりに”ちゃんと”眠るようにしていた。でも少し油断するとズルズルと起きてしまうのが現代人という生き物で、何となく今日はいけるのではないかと夜更かしを決行する。そして、翌日には見事惨敗している。いつもの時間に起床出来ず、文章も書けず、本も読めない。歯車がギシギシと音を立てる頭を使いかろうじて仕事をこなすだけで、自分のやりたいこと、何一つ出来ない。誰かと会話していても、頭の中で単語が再生されない。そんな自分が嫌になって、アルコールに手を伸ばす。そしてまた、眠れなくなって、起きれなくなって、何も出来なくてアルコール。こうして自己嫌悪の輪が完成する。

 

 やはりわたしは眠らなければならないのだな。落ち切ったあとに浮かび上がる哀れな気付きは、果たして自分自身を救済するのだろうか。ふとこんなことを思った、「睡眠もやりたいことの一つとして扱えばいいのでは?」 程度の差はあれど、少なくとも常人は毎日眠る。同じことを繰り返せば繰り返すほど、”当たり前”のこととして脳が認識していく為、人間は日々眠ることに対して違和感を感じない。本能の一つであり、欲求の一つであり、それが組み込まれたプログラムの一部分だからだ。けれど、本当にそれでいいのだろうか。眠ることに対して、もう少し真摯に向き合ってみてもいいんじゃないか。

 やりたいことリスト / 「本を読む」「運動をする」「深く眠る」みたいな感じで、一つの取り組みとして意識すれば面白いのではなかろうか。意識的に取り組むことによって、眠らなければ”ならない”という義務感から解放される。自分のことを許して、たくさん眠ってしまえばいいんだ。頭の中に住み着く魔物を、眠りの中でぶっ殺す。何度も、何度でも殴打してあげる。そうしてある程度頭の中がスッキリした時に、落ち着いて他のやりたいことに取り組めれば最高だね。

 

 故障した頭で何を考えても出来上がるのはゴミばかり。良い物はすべて魔物に食べられてしまう。そんなのってなんだか悲しいから、とりあえず今夜から始めてみよう。早よ寝ましょうね、おやすみなさい。