[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0194 わたしの名前は

 

 今年に入ってまだ一か月も経たない現在、既に大きく生活が変わってしまった。

 

 やっていること自体はさほど変わらないのだけれど、その質量が大幅に増えたりして、以前にも増して時間が足りないと感じるようになった。たくさん眠らないと頭が回らなくてパニックになりやすくなったし、たくさんの言葉に触れないと急速度で心が枯れていくことにも気が付いた。やりたいことで常に頭の中は埋め尽くされていて、誰かと会う時間が減った、というよりも無くなった。ひとりでいる時間が多くなった、だからといって孤独感がある訳でもなく、現在の生活スタイルが割りと気に入っている。

 

 何かを始めたいという願望があるけれど、その”何か”がまだ見つからなくて、日々こうやって文章を綴っている。消費することにも飽きてしまったから、キラキラしたSNSとは極端に距離を置くようになった。YOUTUBEやNETFLIXも気が向いた時に開かれる程度で、デバイスの中でアプリアイコンとして眠っていることが多い。インターネットはとても便利だけど、その便利さにもうウンザリしてしまったというか、有名人一般人関係なく、他人の投稿に対して一喜一憂している時間が勿体無いと感じる。

 

 消費といえば、以前のように毎日お酒をがぶ飲みすることも止めた。というよりも、気が付いたら止めていた。知人と食事に行った際にはどこまでも飲み尽くしたいと思うけれど、その食事会すら開かれないまま時が流れてしまっているから、ほとんど飲まないようになってしまった。そんな中、最近気が付いた細やかな楽しみは、比較的高価なお酒を少量嗜むこと。缶チューハイとか缶ハイボールとかもいいけれど、スコッチやジン等の度数が高めのお酒を予めボトルで購入しておく。そして、ゆっくりと味わいたい夜が訪れた時に、オンザロックで数杯いただく。これが非常に贅沢に感じられて、すべての酒好きにオススメしたい。特に読書や映画等の芸術鑑賞と相性が抜群で、深くまで世界にのめり込むことが出来る。

 

 そんな感じで毎日を生きている訳だけれど、生活の節々で感じる虚無感は消えなくて、寧ろ以前よりも多くなっていて。それでも、パニックに陥る回数は物凄く減った。良く言えば冷静、悪く言えば無感情。少しずつ、けれども確実に感情が消失している実感があって、本当にこのままでいいのだろうかという疑問が頭を離れようとしてくれない。でもね、これはあくまで”疑問”であって、”不安”ではないことが現在のわたしにとっての明確な救いになっている。

 

 不安ってとても恐ろしいから。疑問には解決の余地が残されているからね。

 

 

 例えその答えが、わたしを破壊するものであったとしても。