[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0354 やがて過去は現在に

 

 昔みたいに戻りたいと思うとき、人は何かしらのスランプに陥っている。あの頃は楽しかった、的なことではなくて、文字通りあの頃の自分自身を現在にトレースしたい。なんにも気にならなかった、細かいこと、生きてること、汚いもの、なにに対しても疑念を抱かなかった。純粋と馬鹿は紙一重、完全な球体が存在しないのと同じように、何かしら欠点や歪みはあるものだ。それでも、嗚呼、あまりにも歪みすぎてしまった。どうしてこうなったなんて言いたくない、でも、それ以外に言葉がなにひとつ見つからない。ごめんね、自分を大切にしてあげられなくて。いつもいつも傷つけてばかりで、本当にごめんね。

 

「愛されたい」

 

 素直にそう言えなくなったことが現在を生み出していて、そう言えなくなることが大人になるってことと紐づいていて、甚だしいほどの勘違いが哀れでたまらない。わたしは愛されたい。ただそれだけでよかった。その一言を胸の奥底に閉じ込め続けて、ひとりでも全然平気なフリをして、本が友達で酒が悪友、見渡せばだれもいなくなって、なんだこれ圧倒的に楽しくない。おもんない、その人生を作り出しているのは紛れもない自分自身で、あなたも、あなたも、また違うあなたも、なんにも関係ない。だけど、もう少しだけ頼ってみればよかった、もう少し素直に弱さを見てもらえばよかった。感情が限界を迎えたから文章を書くようになったのか、これはもはや無意識だったのか、もう黙っているままではあたまがおかしくなりそうなんだ。失笑、純粋だけが消え馬鹿が色濃く笑う。鳴らないアイフォンはゴミ同然で、泣けない自分自身を責め立てて、また今日を蔑ろにして生きてしまった。

 

 あの頃のお母さんはどこにもいなくて、あの頃のお父さんは香りだけが残っていて、あの頃の友達は一体どこでなにをしてるんだろ。全部どうでもいい、消えた物事バッドエンド。ほら、顔を上げて見渡してごらん、人間は移ろう生き物で傲慢で温かくて悲しくて痛い。過去のなかに心の一部分を置き去りにしてきてしまった、どうすれば取りに戻れるのだろう。不可逆な時間法則にすべての望みが焼かれた。年齢を重ねるほど子供みたいになっていく、精神の可逆が痛々しかったけど、だとすれば純粋を取り戻すことも可能なんだろうか。取り戻したところで何をどうすればいいのか、わからない、どうしても思考がそれ以上歩みを進めない。

 

 綺麗な花のまわりには人が集まる、美しい宝石には価値がつく。やはり相応の魅力がないと世界から忘れ去られてしまうのだ。素敵なひとのまわりにいる人がみんな温かい人とは限らないけど、それでも、自然と笑顔が思い浮かぶような、そんな感覚になる。世界に対して心を開いていないと、ひとはその魅力を感じ取ることができない。だから自分の殻に閉じこもっていてはいけない、辛くても苦しくても自分という一個体を表現し続けるしかなかった。見つけてくれ、どうか誰か、見つけておくれ。生きることに理由はいらない、それでも今日のなかを充足させるには、どこかしらに体温が必要なのだった。過去にはもう戻れない、未来はわたしを見下して嗤う、だからこの現在のなかで、傷だらけになることでしか表現は成立しない。過去を嘆くな、今日を叫べ、忌々しいばかりの日々に、彩りを与えろ。そのためには魅力が必要で、愛されたいと願うことは悪いことばかりではなかった。もっと素直に生きて、泣いて、体温を求めて、それってとても人間らしいじゃない。過去のなかに置き去りにされたあの心、思えばあれが魅力のかたまり。もう取りに戻ることはできない、帰る場所もどこにもない、だから現在の中で、過去なんてちっぽけに感じるような有り余る魅力を、わたしは創りたいと思うのです。「愛されたい」から思索するデザイン、素直に人を求めること、自分に優しくすること、死にたい気持ちを受け入れること、体温を抱きしめること、生きること。