[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0353 夢のなかの悪魔

 

 室内はものすごく寒いのに、全身汗びっしゃりで目が覚めた。午前2時30分、起床するには早すぎる時間、夜。一体どうなってるんだよ身体、自律神経とやらがぶっ飛んでいるんだろうか。真冬に汗だく起床、目覚めれば極寒は心身ともにグッチャグチャになるわ。堪える、心への追撃、落ち着け冷静に、黙々とお着換えを行う。嗚呼もうあんまり眠りたくない。

 

 生活が退廃的になっているからといって、身体が喜ぶことをたくさん取り入れてどうやこれでちょっとは満足かいと思い上がれば予想だにしないリバウンド。これも好転反応というやつなのか、最近、好転反応という言葉が好き、何かにつけて都合がよい。眠れば夢想、頭のなかで再生されるカスみたいな物語。悪夢ばっかり、安寧のときはどこにもあらへん。この悪夢も好転反応? あぐらをかいて侮蔑してくる悪魔が本当に本当に鬱陶しかった。恐るべし潜在意識、恐るべし抑圧された記憶たち。もっと自分を愛してやらねば、悪魔を飼いならせるようにならなければ、でもきっとそれを達成してもなんにも納得できないままで、嗚呼もうあんまり眠りたくない。

 

 睡眠が足りないからしんどいわけじゃないの、愛されていないと感じるわけじゃないの、生きていることが不幸なわけじゃないの。なぜだろうどうしてこんなにも日々が憂鬱、後光がさしたように感じたあの一瞬は、どこに消え去ってしまったのか虚しい。公園に設置されたシーソーを思い出す。どちらか片方が宙に上がれば、もう片方は地に下がる。下がった時の反動を利用して力強く踏み込めば、こんどはこちらが宙に上がる。上がる、下がる、上がる、下がる、上がる、下がる、この繰り返しいつまで続くんだろうよ。頼むから中間地点を与えておくれ、一人でゆっくり平衡を保てる、真ん中に座席を設けておくれ。なんて嘆いてもだれも聞いてくれはしない、そこでクスクス悪魔だけが笑ってる。

 

 眠りたくないなら眠らなければいいじゃない、パフォーマンスとかどん底まで落ち切ってもいいじゃないの。どうせ力強く蹴り上げれば浮き上がることは簡単。いまは個人的事情により落ちていればよろしい。落ちて、落ちて、最底に着地した状態を人類は「落ち着く」と表現したそうだ。落ち着いてるよね、と言われるひとは落下する経験をしてきた人だ。だからどこか藍色の印象で、孤独で、笑顔までもが悲しそうである。だから別に落ちたままでもいい、それも一つの魅力になり得る。めちゃめちゃ快活でアゲていきたい日もあるんだけど、そういう慣れないことすると後々ツケが回ってくる。身分相応のテンションで日々を乗り切る、そのためにはたくさん眠ることよりも、身体が喜ぶ生活をするよりも、日々浮き上がる憂鬱と向き合い続けることだけが大事だった。眠りたくないなら夜のなかで踊っていればいいじゃない、夢のなかの悪魔、お前はそこで一人笑ってろ。