[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0355 集中の渦

 

 当方会社勤めをしておりまして、労働時間は8時間+休憩1時間という塩梅、よくあるやつ。帰り道の電車でふと冷静になった時、よく考えると9時間ってめっちゃ長いよなぁ、となる。9時間も他人の体臭や空気感が漂うなか箱詰め状態(勝手に外出したりするけれど)、よく気がおかしくならないものです。カフェに9時間おりなさいと言われても全然無理人間に耐えられへんです。会社ならなんとかなるもんだな、適当にやってるからかしら。最近、時間をとても意識するようになって、生き急いでいるわけではないのだけど、もっと有効に時間を使用したいと思うようになりまして。もっともっと、自分が夢中になれることに時間とお金を投じたい。全く本が読み足りないし、観たい映画ばかりが増えていくし、運動も強度を上げて毎日取り組みたい。そんな中、9時間という制約、720分という制約、43200秒という制約があまりにも膨大でキツいのだった。

 

 だからといって、会社に文句を垂れることはしたくない。社会を憎むようなことはもっとしたくない。現在の自分の状況に不満がある時、その状況に身を置いているのは自分なわけであって、嫌ならば環境を変えればいいだけの話しである。それができないのなら、何も言いなさんな。どうしても堪えられないのなら辞めてしまう。この国では贅沢さえしなければ生活は何とかなるもんだ。その勇気も知識も行動力もないのなら、もうわたしは何も言いなさんな。そう自分に言い聞かせておる。自分だけには厳しい人間でありたい、こうでもしないといとも簡単に生活が崩壊してしまうのだ。それを理解している、だから、手に入れた自責思考を存分に解放してあげる。そもそも、こんなポンコツを長年雇っていただいて、過去にはマジで精神がとち狂ってる時期もありまして、それでも文句を言い放つこともなくそれなりの距離感を保ちながら接してくださっている。あぁ、恵まれているなぁと感じる瞬間も多々あり、この環境だから何とか自分はやってこれた、なんてバイアスめいた考えが度々頭に浮かんでは消え、それでもやっぱり、9時間はあまりにも長すぎる気がして頭が重い。

 

 こういう時思い浮かぶ考えは、自営業とかフリーランスとか、いわゆる会社勤めではない人ってマジですごいなということで、いやはや会社員ももちろんすごい、日々皆さんお疲れ様です、ではあるのだけれど、まぁ何となくなく動いていればそれなりになんとかなる訳であって、指示待ち人間でも全然お給料をいただけたりする訳であって。自営業とかはそういう訳にはいかん、常に能動的でなければならないよね。保守的では事業が衰退していく、やっぱりそれ相応のガッツが必要なのだと痛感する。知り合いにも自分でお店を経営している人、フリーで働いている人がちらほらいて、話しを聞いていると自分とは違う世界の物語のようで面白い。いや、完全に同次元ではあるんだけど、それでもやっぱり、毎日のほほほんと生きているわたしとは、身体中を駆け巡る意識そのものが違うように感じてしまう。「自由とは責任を背負うことだ」とそれっぽいことをなんかの書籍で読んだ記憶、まさにその通りである。責任もなくただ自由に空を飛び回ることができるのは、「子」という生き物だけなのかもしれない。大人になってしまったわたし達は、求める自由に比例して、それはずっしりと重い責任を抱えていかなければならない。本当にそうか? 本当にそうなのか? もっと気ままに空を飛び回る方法はないのだろうか、もっと息がしやすい生き方は、存在しないのだろうか。ずっと同じことを考えている、思考よりも行動することが大事なはずなのに。

 

 うーん、なんか今日は精神が塞ぎ込んでいて会社に行きたくない。って日が割と多くて、でもその塞ぎ込み具合落ち込み具合によっては身体に鞭を打って出社するようにしている。めっちゃ落ちてるときは遠慮なく休むんだけど、自分の場合、それよりも軽い場合に家でゴロゴロしていると、もっともっと精神がドス黒くなっていくのだった。良くも悪くも会社というのは規則性が働いていて、〇時に出社、そのためには〇時に起きる必要があって、そのためには〇時に眠る。退廃的な生活をいい感じに整えてくれるようでもあって、割と自分はこれが苦には感じない。ちょっと重力な身体を引きずりながら電車に揺られて会社に到着。来たからにはまぁ仕事やるしかないよな→定時までの無心タイムである。仕事中はもう本当に無心、なんでこんな部分に貴重な集中力を費やしてるねんと思うほどに、集中の渦巻き。なんとなく禅の教えを彷彿とさせるような、瞑想に近い部分もある。出社すれば人間と顔を合わす訳であって、会話する訳であって、集中とコミュニケーションを行ったり来たりしていると、帰る頃には午前様の憂鬱がそれはそれは薄まっている時もあって驚く。存外、労働というのは悪くないもんだ。電車に揺られながら感心するのと同時に、止まることを知らないあくびが表情筋を刺激する。よく頑張った、なんとか今日を生き抜いたよ心。それでもやっぱり、9時間という制約があまりにも長くて、ちょっぴり憂鬱。