[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0356 いい加減がわからない

 

 0か100かの白黒思考、完璧主義、度々陥ってはしんどくなる。心も身体もずっしり重くなるのだ。倦怠。本当の理想はその中間地点、50の灰色を受け入れられるようになればいいんだけど、カチカチに凝り固まった頭が上手く扉を開かない。どうしてこんなにも極端なの、消え失せる自己肯定に辟易して最早お手上げ。もうちょっと柔らかく、液体と固体の中間地点、思わず触れたくなるスライムみたいな、モッチリとした柔軟性が欲しかった。どうすれば手に入れられるんだろう、贅沢は言わない、ただあともう少しだけ、気楽に生きることを望ませておくれ。

 

 いい加減にしなさい、と親が子に言っている光景。「いい加減」は漢字にすると「好い加減」なのであって、「ほんまもう最悪やからやめて」程度の意味合いで使われている。好い加減、なんとなくこの響きと字体がすきなのだった。もうちょっと好い感じに加減して、今よりも楽に生きられればいいのに。思考が暴走を止めようとはしない、落ち着くための子守歌は鼓膜まで届かない。融通が利かない自分の脳と性格を、いくら恨んだところで心が削れていくばかりだ。ここで一旦ため息、それはそれは大きな呼吸。

 

 まぁそれも仕方ない、これも自分らしさの一つだから、魅力だから、個性だから、だから、だから、このままで好い。なんてなるはずがなかった、それほどまでに開き直ることができればよかったんだけど、こんなの嫌だなぜかずっと息苦しさがつきまとう。清潔に対するこだわりとか、色彩に対するこだわり、こだわりに対するこだわり、頭んなかが雁字搦めでヘッドロック。もっと適当に、好い加減に生きられたらどれほどまでに最高だろうか。でも、そんなものはどこまでいっても理想論で、結局は現在の自分を受け入れることしか出来なくて、そんなの当たり前なんだけど、自分が認めてあげなければ一体他の誰が認めてくれるんやということで、つまりどういう事かというと、わたしはわたし以外のだれかになることなど叶わない。認めて、受け入れて、抱きしめて、息苦しかったとしても、自分自身を諦めないで。まぁそれも仕方ないと開き直って、泣いて、ほんの少しだけ、死んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かもなく不可もなくの按配