[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0357 嫌われろ、勇気

 

 ひとが抱える悩みの9割が人間関係から生ずるものだとよく目にする。わたしはこの説に理解を示すことが難しくて、日常的にあまり人間関係で悩むことがありません。生きていれば人と関わっていればそれはそれは面倒な人、生理的に会わない人に出会うことがたくさんあって、すこしはイラッとしたりするのだけれど、それでも「面白い生き物に出会った」という感覚の方が強くて、どこかしら楽しんでいる自分がいて。それは、どこまでいっても人間同士が完全に分かり合えないことを示唆しているようでもあって、ふむふむなるほど、やっぱりそういうもんだよなと妙に腑に落ちる瞬間がある。おそらく圧倒的に期待していない、他人にも、この世界に対しても。

 

 端的に言えば、「べつに嫌われてもどうでもいい」というスタンスで人生を送っていて、好かれれば好きだと言ってもらえればとても嬉しいんだけど、だからといってその気持ちが長続きする補償なんてどこにもないので、甘いチョコレートをいただきましたラッキー、程度の心持ちで有難くお言葉を頂戴している。口に放り込めば溶けて消えることが前提、ポケットにしまっても溶けてグチャグチャになることが前提。人は変わっていく、だから言葉の効力がどこまでも持続するなんて期待しない。嫌われることも当たり前だと思っていて、その感情って人間らしいよなと思うわけでもあって、あらま残念ご縁が無かったようですね、左様ならなのである。好かれたいと思う気持ちも、嫌われたくないと思う気持ちも、当の昔に失ってしまった。それはなんだかちょっぴり悲しいことでもあるような気がして、でも、そんな気がする自分はまだ人間らしさを手放していないのだ安堵、なんて自作自演の独り舞台で踊っている。

 

 10代の頃、猛獣であったわたしは現在とは真反対、どうすれば他人から好かれるかばかりを考えていた。嫌われること、マジでどうしようもなく怖かった。父から言われた数少ない言葉のなかで、「おまえは八方美人すぎるよ」という一言が鮮烈な切り傷を残している。当時はその言葉を認めたくはなかったが、振り返れば正にその通りでもあって、他人から好かれるように自分の行動をすり合わせていた部分は大いにあった。やっぱり若いうちは可愛い可愛いといって年上のお兄さんお姉さんにそれはそれはチヤホヤされながら生きていたけれど、素直なフリをするのも、思っていないことを口にするのも、自分の意思をガン無視していたよなぁ、と現在になって思うのだ。他人から与えてもらうことばかりを望んでいたし、人の優しさにヒョイと入り込んで、自分の傷を埋めようとしていた。今考えると愚かだね、当時可愛がってくださった方々、本当にごめんなさい。月日が経過して、わたし、こんなにも偏屈に育ちました。勿論のこと、自分を偽ってまで作り上げた交友関係、ほとんど誰もいなくなっちゃった。

 

 嫌われることは当たり前どうでもいい、と思っているからといって、周囲の方を蔑ろにする訳ではなくて。自分と関わっている時間はできるだけ気持ちよくあって欲しいという願望から、最低限の礼儀は意識していて、なるべく相手を傷つけないよう言動に気を配っている(大体みんなそうだよね)。でも、やっぱり嫌われるときは嫌われてしまうので、保守的になることはなく、割となんでも思ったことを口にしている。八方美人の頃は厳しくワード選出を審査していたものが、現在は軽やかにワルツを踊っている様な感じ。会話をしていて、肩の力が抜けているなぁとよく感じる。そこにアルコールが入ろうもんなら、もっと気楽でリズムが軽快で、もはや初めから肩なんてなかったんじゃないかと思うぐらい。それぐらい自分が心地良く、自然体でいられるのだった。好かれることにも、嫌われることにも、他人からどう思われるかとか、そういうことに関する執着を手放したあとは、本当に本当に楽になった。その分合わない人からは揶揄されたり、死ぬほどマイペースと言われたり、その他諸々の不利益を被る場面はあるかもしれないけれど、わたしがわたしらしく振舞えるのであれば、それでいいじゃないか。自分を偽ってまで獲得した好感度に一体どれほどの価値がある? 河川敷に落ちている石ころ、それをいくら磨いたところでダイヤにはならない。己が一番の原石であること、そのためには好感も嫌感も必要なくて、ただそこでワルツを踊り続けること、たったそれだけのことで、よかったんだ。

 

 

 それなのにわたしは、一体なにをどれほどまでに悩み続けているのだろう。