[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0100 過去を笑えば

 

 「私の過去を、少しだけ。」

 

 

 私は、自他共に認める綺麗好きです。人様から潔癖症と言われることがよくあるけど、正直言うとその響きはあまり好きではない。というか、自分の場合はただの病気であって、潔癖症ではないのだけれど。

 

 綺麗好きではある。清潔な空間が好きだし、自分自身もなるべく清潔にしていたいとは思う。

 

 父親は物凄く清潔好きだった。私がまだ幼い頃、整理整頓のやり方を事細かく教えてくれた。自分の部屋を、家の中を清潔に保ちなさいという言葉を添えて。

 

 その日から、幼いながらに清潔を心掛けるようになった。

 

 時は経ち、父親が帰って来なくなった。家の中はあらゆる物や衣服が散乱していった。僕は必死で掃除をした、綺麗だったあの頃を取り戻そうとした。けれども、その試みは失敗に終わった。駄目だった、見事なまでに敗北した。片づけても、片づけても、他の人間が不潔をまき散らしていく。何故、この人たちが汚した箇所を僕が片づけなければならないのだろう。何故、この人たちは片づけることを覚えないのだろう。

 

 もう、諦めてしまった。せめて自分の部屋だけはと思い、清潔の維持に取り組んだ。今思えば、その頃から汚してはならない”聖域”みたいな概念を自分の中に創出していたのだろう。惨めだけど、可愛いらしいね。

 

 時折、家に顔を出す父親に、家の中の散らかり具合を指摘された。「お母さんは駄目だから、お前がしっかりと片付けるんだよ」そう優しく宥められた。その言葉に、わたしは呪われてしまったのだと思う。

 

 清潔でありなさい、清潔でありなさい、清潔でありなさい、清潔でありたい、清潔でありなさい、清潔でありなさい、清潔でありたい、清潔で、清潔でなければならない、清潔でありなさい清潔でありなさい、清潔でなければならない、清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければならない清潔でなければ父さんに嫌われてしまう

 

 

 中学生になった、両親の離婚と共に引っ越しをした。

 

 それでも何も変わらなかった。寧ろ、惨状は加速していった。相変わらず自分の部屋だけは清潔を保つようにしていた。それだけで精一杯だった。

 

 「家の中の状態は、自身の精神状態を現す。」という言葉を目にしたことがないだろうか。これは、正にその通りだと思う。僕にとって、家族そのものがまるで吐瀉物のようだった。次第に家庭からお金が無くなっていった。そりゃあそうだ、だって誰も働いていないんだもの。その時初めて自分自身の年齢を呪った、自分がもっと成熟していればこんな貧相な思いをすることはないのに。学生という身分が、そして自分が何よりも憎らしかった。

 

 日が経つごとに、家の中が穢くなっていく。そんな穢い人間達との共同生活、そして金が無い。次第に食物にも困窮するようになり、一時期は非常食の乾パンを食べて凌いでいたことがある。今となっては笑い話しだけど、当時はとにかく腹が減って仕方無かった為、食べられれば何だってよかった。それを見かねた学校の先生がお弁当を買ってくれたり、友達のお母さんがご飯を食べさせてくれたりした。当時から、周りの方達にだけは恵まれていた。

 

「高校生になったら、一人暮らしをしよう。」

 

 ある日、ふと思った。

 

 もうこの家に住み続けることは心苦しい。お金に困窮した生活は嫌だから、しっかりと働こう。

 

 頭の中にある浮わついた考えを、目に見える形として落とし込んでいった。

 

 金を稼ぐ為に高校は夜間学校を選択した、上手い具合にフルタイムで働けるアルバイトも見つかった、そして、ある程度資金が貯まった段階で実家を飛び出した。

 

 本当に爽快だった、今でも一人暮らしを開始した時の感覚は胸に焼き付いている。自分だけの城、自分だけの空間、もう勝手に他の誰にも家を汚されることはない。それでも、初夜は寂しくて泣いた。

 

(この後、実家に一度戻ることになるが、ここでは詳細を省かせていただく)

 

 

 一人暮らしを開始してしばらく経ったある日、実家に立ち寄ることになった。

 

 なにか膨大な違和感が私を襲った。相変わらず家の中は物が散乱していた。私がいなくなったことにより、以前よりもその度合いが増している。しかし、違和感の正体はそこではない。

 

 直感に問いただす、五感に意識を向ける。

 

 私の嗅覚が大きな悲鳴を上げていた。臭い、物凄く臭い。自分のDNAが空間そのものを拒絶している、帰りたい、一目散にこの場所から逃げてしまいたい。苦しい、一体自分はどうしてしまったのだろう?

 

 実家の匂いが駄目になった、心が受け付けなくなった。腐臭がしたりとかそういう類いの臭いではなく、所謂生活臭というか、人間がその空間で暮らす上で染みつく香りみたいな感じ。恐らく、他人がこの匂いを嗅いでも何とも思わないのだろう。

 

 離れて暮らして初めて気付くことがある。私が気付いたことは、もう全ての感覚がこの家を受け付けていないということ。視覚では散乱した室内を、聴覚では金が無いという嘆きを、嗅覚では脳に染みつく生活臭を、触覚では鎮座するホコリと油を、そんな場所で寸分も機能させたくはない味覚を。

 

 

 家族は大切にしなければならない、そんな世の中の刷り込みが私の心を蝕んでいた。もう関わりたくないけれど、産んでくれたから、家族だから大切にしなければ。そうやって、無理矢理自分の本音を捻じ曲げようとすればするほど、心に亀裂が入る音がした。

 

 自分自身で抱え込むことが限界になって、周囲の大人に相談した。自分では到底考えつかないような、人間には様々な生き方があることを教えてくれた。話しを聞いてもらったことで自分自身が肯定されたような、価値観が大きく変わる感覚があった。

 

 そして、わたしは実家に帰らなくなった。

 偽善的に家族と関わることを止めた。

 

 心がとても晴れやかになった気がした。

 

 そこからが地獄だった。一人で生きていくことを誓ったはずなのに、他の家族を見ると嫉妬や羨望が溢れ出るようになった。”家族”という概念が憎くて、仲良しこよし、みんな死んでしまえばいいのにと思っていた。

 

 表面では「素敵な家族ですね」と綺麗な言葉を並べ立て、内面では呪詛を唱え続けている。まるで感情と行動が一致していない。

 

 自分自身を削り続けた、いつまでも削り続けた。やがて、削る部分が無くなった時に、其処には大きなコンプレックスが形成されていた。

 

「どうせ、自分は一人ぼっち」

 

 人から好かれることに多くの時間とお金を費やすようになった。好かれる為に、人を潰す為に心理学を学んだ。人から良く思われることで自己承認欲を埋めていった、愛されることで自分自身を肯定しようとした。

 

 その何もかもが錯覚で、まやかしだった。少し気を抜くと周りから人はいなくなるし、別に自分は愛されていた訳ではなかった。もっと愛されたい、もっと好かれたい、もっと良く思われたい、そうでなければ自分自身に存在価値は無いんだから。

 

 ある日、気付いた。

 良い香りの人は好かれていて、臭い人は圧倒的に嫌われている

 

 香りに対して異常なまでに執着するようになった。香水を主として、あらゆるフレグランス製品に手を出した。「良い匂い」と言ってもらえることが多くなった。その一言がとても嬉しくて、より執着が強まっていった。

 

 自分で言うのも馬鹿らしいけど、良い香りで在ることが自身のアイデンティティになっていた。ひたすら香りについて調べた、どうやったらもっと良い香りになれるのだろう、どうすればもっと褒めてもらえるのだろう。

 

 

 自分自身が臭いと嫌われてしまう。良い香りでなければならない。僕は、僕だけは綺麗で在り続けなければならない。臭い人間は、全ての人から蔑まれ黙殺されてしまう。嗚呼、汚い、何もかもが汚い。いくら綺麗にしても、いくら綺麗になっても、それでも不潔は次々と姿を現して、私を、私の聖域を蝕んでいく。清潔でなければならない、清潔でなければ誰も愛してくれない。不潔な人間は撲殺、殴殺、最終的に嬲り殺され黙祷。

 

 

 こうして私は強迫性障害になった。気づいた時にはなっていた。臭いに対して恐怖するようになった、異常なまでに香りを気にする様になった。そこから色々な物事に対して恐怖対象が広がっていった。身動きが取れなくなった、心療内科に行った、死にたいと言ったら担当医に叱責された、精神薬を飲むともっともっと動けなくなった、もう死んでやろうと思った。そんな自分が何よりも憎かった、何もできない自分が悔しかった。

 

 


 

 発症したのが約7年前ぐらい、現在でも寛解はしていない。それでも紆余曲折を経て、随分良くなったと思う。当時と比べると大分生きやすくなった。

 

 現在は他人の家族を素直に応援することが出来るし、関係を構築出来ていることが素晴らしいと思えるようになった。臭いは現在も変わらずに恐怖だけれど、別に自分が良い香りでなくてもいいかなと思えるようになった。

 

 どんな時でも味方でいてくれた友人や恩師に何度も救ってもらった。そして文章に出会えたことが自分にとって何よりも幸いだった。

 

 相変わらず希死念慮や厭世感は笑みを浮かべこちらを見つめているけれど、熱烈な視線を浴びたまま生きていくことも悪くないんじゃないかと、この文章を書いている私は思っている。

 

 最後に一つだけ言いたいことは、私は”家族”のことを憎んでいる訳ではない。たくさん傷つけられたし、同じくらい傷つけてきたと思う。それでも、感謝はしている。産んでくれたことにではなく、物心つくまで不器用なりにでも育ててくれたことに対して。

 

「できれば、本当は産んでほしくなかった、産まれたくなかった。それでもこうして産まれてきて、ここまで苦しみながら生きてしまった。ある程度の苦しみには慣れてしまったから、これからはもう少し気楽に生きていこうと思うよ。

 

 育ててくれたことには感謝している。それでも必要以上に感謝することはしないよ。これからも僕は一人で生きていこうと思っているから。」

 

 ただそれだけのことを、書きたかっただけなのかもしれないな。

 

 

 「過去にありがとう、そしてさようなら。」