[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0351 腕に散った花びら、

 

 先日、お洒落な服屋さん(言い方がお洒落ではない)に足を運んだ。久しぶりに洋服を新調しようと思って、色んなお店を回ってみたのだけれど、あれ、こんなにも、胸が一切ときめかない。色、形、手触り、このどれかが圧倒的に欠けていて、欠けているものにお金を支払うことはしたくない。自分のなかにある美のイメージ、条件を満たしているものにバーンとお金を使いたいのだけれど、どれ一つとして、わたしの願望を満たすものはなかった。そのことがとても悲しかった。昔は欲しくてたまらなかった衣服たち、手に入ってきたお金を衣服に全ビットするような若者が、いまでは随分と落ち着いてしまった。物質主義から解放された、良く言ってあげればそうなるんだけど、衣服をはじめとするその他装飾品にも一切の興味が消え失せたわたしのことが、なんだかとても悲しかった。

 

 気がつけば同じ服ばかり着ている。そんなことってないですか? ある時期から黒い服以外は持たないと決めて、まっくろくろすけのクローゼットが完成した。トップス、ボトムス、アウター、靴、基本的にどの組み合わせでも問題なくて、どの組み合わせでも似たような感じになる。服を選ぶことが苦痛ではなくなり、そのうちに選ぶという感覚が消え去り、その中でも無意識に同じ服ばかり着ていることに気が付きました。結局、着心地が好いものばかりを身に纏っていて、もちろん見た目も自分好み、もうこれだけでいいんではないかと思い立つ。同じトップス、同じボトムスを数着、アウターは用途別のものを一着ずつ。こうするとなんも考えなくて済むので、くたびれたら買い替えれば済むので、精神衛生上とても快適なのだった。これはミニマリストさんがよく実行している私服の制服化というやつで、数年前にこの概念を知ったときは「いやいや、そんなん無理やろダサいでしょ」と半ば鼻で嗤っていたわたしが、自然の流れと共にその通りになっていた、皮肉なものであります。日常、様々な雑音で思考が煩雑するなか、できる限り脳の稼働領域を保っていたい。その思いから色んな必要のないことをそぎ落とした結果、ファッションとやらもひどく単調なものになってしまった。

 

 もちろん、これによって様々な懸念点はあった。その中の一つが他人にどう思われるかということ、もう少しズームアップしてみると即ちそれは「モテないのではないか...」ということになる。先ず、同じ服ばかりを着る生活になって気が付いたんだけど、人は圧倒的に他人の服に興味がないということ。なんも思ってないらしい、冷静に考えればそうで、自分以外の誰がなにを着ていようがマジでどうでもいいよね。最低限の清潔感があれば、それでいいよね。そういうことであった。そしてそして、肝心のモテない問題。自分が至った結論として、「そもそも衣服でモテ要素を出そうとしている時点でダサくてモテない」なのでした。街中のお洒落さんたちを否定するつもりは一切なく、性別問わずファッショナブルな方は素敵だと思うし、そこが魅力の一部分に感じる瞬間もある。けれども、自分はそういうの必要あらへんと思ったことは事実で、素直な気持ちで、だから同じ服を着てモテなかったとしても、それはそれで仕方がなく、寧ろ自分の生物としての実力が露わで明確なものになっただけで、何ら問題はない。改善、そこから改善を積み上げることができるから、これは一種のポジティブ側面であるかもしれない。実際、この生活をはじめてから良い意味でも悪い意味でも、モテ、非モテみたいなこと感じたことない。服が変わった程度では、世間の目というのは変わらないもんだな。というか何より、年甲斐もなくまだモテたいだなんて気持ちが残っていたことに自分でも驚いた。なんか恥ずかしいな、やっぱりまだまだわたしも一人の生物なのだった。

 

 毎日同じ服を着るからには、人一倍清潔感に気を遣う必要がある。知り合いにお洒落さんがいるんだけど、彼が醸し出す清潔感がえげつない。やはり自分自身のメンテナンスをしっかり実践していて、こまめにハンドクリームやらリップクリームやら塗って、ちゃんと髪の毛をセットしている。こんなにも敏感なわたしの嗅覚が、彼の体臭を感じ取ることができない。清潔感というものは、自分を大事に手入れするということであって、わたしは彼のその石鹸のような爽やかさ(香りは無臭)をとても参考にしている。めちゃくちゃお洒落で清潔なのに、衣服はファストファッションばかりとのこと。結局は清潔感とセンスなんだよな。

 これは自分の理想形なんだけど、アートに携わっている方たちって、黒Tシャツ×黒スキニーの組み合わせがめっちゃ多い気がする。お世話になった彫師さんも、YOUTUBEで見つけた方、この間展示会で出会った画家さんも、皆一様にこの格好。突き出た腕にはたくさんのタトゥーが散りばめられていて、それはもうそのお方自身が一種の作品、本当に本当にカッコイイのです。世界で一番好きな服装、わたしも毎日身に纏いたい、なんて確固たる意志があったわけではないけど、気がつけば自分も同じ服装になっていました。人間っていうのは信じたいものを信じるし、憧れにその身を寄せていくものなのかもしれないね。まだ、身体にタトゥーは入っていないけれど、ゆくゆくは綺麗な花弁を散りばめたい。言葉で表現することに夢中になって、衣服やアクセサリーで自分を飾ることがなくなった、それでいい、現在の自分自身が割と好きです。これはなんでもそうだけど、一つのことを毎日続ければそれがその人にとってのスタイルになる。自分のなかに芽吹いた種を花咲かすために、今日も同じことを繰り返す。