[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0370 人の名を模した花

 

 最近になって思うのです、わたしはただ静かに過ごしていたい。

 

 あれほどまでに大好きだった居酒屋、喧騒が耐え難くちょっぴりしんどい。デパートは人で溢れかえっていて、お洒落で美味しいあらゆるカフェの店内はファッション人で埋め尽くされている。価格が比較的安価なお店には、大勢の人間が集まるのだ。そんなこと言われなくてもみんな知ってる、焼肉食べ放題は煙と家族と愛情が充満しているし、ファストファッションのお店はいつも混雑していてクシャクシャになった衣服がかわいそう。激安の殿堂を謳っているドン・キホーテには商品と人がごった返していて息苦しい。閉所恐怖症気味なのかしら、窮屈な空間が本当につらいと感じるのです。

 

 逆に、客単価が高いお店は空間に余裕がある。ブランド品に興味はないけど、高級ブランドの店内は広々として良い香り、騒がしいお客様もほとんどいらっしゃらない。そもそも空間の割に客数が少ない。そして接客対応が素晴らしいんだね。高価なものを購入するときは、その商品だけでなく、心地好い接客対応にお金を払っている感覚が多分にある。サービス料、という枠組みでは収まらないようなプロフェッショナルな接客。「この店員さんから購入できてよかった」という満足感が重要なんである。だから、いくら目当ての商品があろうとも、接客に少しでも疑問を感じる場合には購入せず店を後にしている。わたしが欲しいのは、物質だけじゃないんだよ。気持ちをお金で買うことはできないけれど、接客のなかで得た満足感にお金を支払いたいと思わせることは可能なんだ。

 

 これはBARでも同じことだと思っていて。居酒屋で注文すれば数百円で飲めるアルコールが、BARで注文すると千円以上になる。アルコール単体で計算すれば、お会計は倍以上の金額になる(銘柄にもよるけれど)。しかし、BARはとても静かなのだ。店内には落ち着いたBGM、詮索をしてこないバーテンダー、丁寧に作られるお酒、孤独。誰かと一緒にいても、ひとりでいても、BARで飲んでいる瞬間は孤独を感じる。そこに注がれるバーテンダーとの静かな会話が、わたしは大好きなのだった。費用対効果を求めるのなら、ボトルを購入して自宅で飲むことが最適解なんだろうけど、あいにく私の家にバーテンダーは不在である。何とも言えないメロウな感じ、滑らかな接客が、本当に心地好いのだ。それ故に予想以上に飲んでしまうときが多々あって、翌日に領収書を確認すると「マジか......」となって、ちょっとカフェに寄る感覚だったのに大散財、それでも心は充分に満たされているのだった。

 

 静かな空間、サービスにお金を使いたいと思うようになった。世のなかの騒々しさにうんざりしておる。人は変わるものだ、人は変わっていくものなのだ。だからこそ現在のこの感覚は当然のことで、否定も肯定もせず、ただ受け入れていく所存です。静かに咲いて、誰も知らないあいだに散っている、わたしはそんな美しい花になりたいの。悲しいものばかり見つめていたいの。