[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0359 こころの御守り

 

 わたしは嗅覚が敏感に働きます。だから、におい関してのこだわりがものすごく強い、自覚があります。例えば、腐臭であれば誰もが本能的に「臭い」と判断して不快に感じると思うけど、そうではない類の臭い、例えば人間の皮膚のにおいとか、食物とか、生活臭とか、そういうものにセンサーが反応して精神がやられてしまう時がある。

 

 良い匂い=安全、不快な臭い=危険、人間にプログラムされた遺伝子が過剰反応しているだけなのかもしれないけど、なんかもうしんどいのである。「なぁ、めっちゃ臭くない?」誰かにこの臭さを共感してもらいたくて問うた、「え、どれ? なんも臭いせえへんで」マジかよこんなにも強く鼻腔を刺激するのに。嗅覚過敏、中には人工香料が苦手な方もたくさんいらっしゃる。シャンプー、香水、柔軟剤、などの世間一般で認知されている加工された「よい香り」が不快に感じるとのこと。なかには頭痛がしたり、吐き気を催したりする方もいるみたいで、それは大変だなと思う。種類は何であれ人工香料をプンプン身から漂わせている人のことを「香害」と表現するらしい。

 

 はい、ごめんなさい世界、それはきっとわたしのこと。当のわたしは、加工された香り、作られた香りが全然平気、寧ろ好きなのであった。なぜならば、香りがとてもわかりやすいから。無臭と香りの境界線がハッキリしている、これは自分にとって好ましいことなのです。特に大好きなのが香水。高校生の頃からシュッシュと香水をつけるようになり、現在にいたるまで色んな香りのフレグランスを試してきました。多い時には20種類以上の香水を使い分けており、お高いものからプチプラなものまで、香りが気に入ればどんどんコレクションに加えていった。当時は毎日違う香りを纏うことがお洒落だと思い込んでいて、自分の香りというものが定まっていなかったんだけど、年月が経過するにつれて香りの変化が気持ち悪くなり、現在では一種類の香水しか使わなくなってしまった。あれだけたくさん持っていた香水、結局友人に譲ったり、処分したりしちゃって、愛を注いでいたはずの物たちも、所詮は気分次第でさようなら、香りもあくまで物質に過ぎないのだな。

 

 その同じ香水を年に数本購入して、来る日も来る日も身に纏っている。自分にとって香水は一種の御守りみたいなもので、香水をつけないでいることは全裸で公道を闊歩しているようなものなんです。いつもの香りが、とても安心する。家から一歩外に出れば種々雑多様々な「臭い」に出くわすわけであって、そんな時には自分の香りに集中するといくらか精神が安定する。あぁ、よかった、心が潰れないで済んだ。[香水 付け方]と検索エンジンに打ち込めばそれはもう色んな纏い方が出てくるけど、十年以上かけてたどりついた独自の纏い方があって、手首にワンプッシュとか、空間にワンプッシュしてくぐるとか、そんなもんでは全く物足りなさ、御守りとして効果を発揮しない。なので、一度の使用数はかなり多いと自分でも思う。だからこその「香害」、嫌な人は嫌なんだろうなぁ、申し訳ない。でも、やっぱり自分が心地良くいられる必要適正量というのがあって、日々香りに自分が救われているのであって、それをやめなさいと言われるぐらいなら、わたしはその環境を投げ出してしまうだろう。それぐらい、自分のなかでは絶対に譲れない部分なのであった。

 

 独自の香りを持っている人が好きだ。相手のことを印象付けるものとして、一番最初の扉に香りがある。「この人は臭くないから安心」「この人は良い香りだから自分を大切にしている」「この人は結構臭いから危険」みたいな感じで、香りを枠組みとして人間性を判断している。やっぱり、香りが整っている人は自分のスタイルを持たれている方が多い印象。どうしてその香りを纏っているのか、独自の哲学が気になるところである。ずっと一つの香りを纏いつづけていると、その香りが自分のものになる。衣服に染み込んだ香料は洗濯しても落ちることを知らず、自分ではあまりわからないんだけど、家の中にも香りが散らばっているらしい。香りというものは、ただ良い匂いでリラックス程度のものではなく、相手の記憶に刻み込む呪いでもあると思っている。例えば、明日わたしが死んだとして、いなくなったとしても、香りだけはのこっている。香水がある、廃盤にならない限り、わたしは香りとして生きつづける。わたしのことを知っている人、関わったことがある人は、香りでわたしを思い出して。いなくなった後は元から知らなかったかのように忘れてほしい。それでもね、形をもたない香りのことだけは、ずっとずっと忘れないで。