[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0299 艶やかな残香

 

 人間の魅力というものが、資産とか、生殖能力の高さとか、そんなもので決まってしまうのなら、わたしはこの世界そのものに対して、魅力を感じないまま枯れるだろう。

 

 いついかなる時もご機嫌な人の余裕的魅力、容姿は全く魅かれないのに何故か耳が求める声帯的魅力、香水や柔軟剤ではない純粋な体臭が華やかな香的魅力。様々なかたちの魅力があって、それらの複合体がその人そのものであって、それを細部まで言葉で説明することはとても難しい。というよりも、それを言葉にした時点で、魅力の一部分が石のように固まってしまうような、そんな感覚がある。わたしが個人的に思う魅力とは、掴みどころがなく、ふわふわと宙に浮いているような緩やかさである。ほんの少し固まってしまっただけで、その魅力が浮き続けることは難しい。

 

 少し前、会話の最中で「自分のどういうところを好きになるんだと思う?」と問われた。「それを言葉にした時点で、本質が薄れてしまうよ」と答えたところ、大きな落ち込みが目の前に現れた。言い訳としての返答、語れるほどの魅力が自分にはないと思ったらしい。ここで、もう少し言葉を付け足した。

 

「例えば、魅力の一部分として、『料理が得意なところ』を挙げたとする。実際にきみは料理が得意だし、それは人間としての魅力を高めている要素であると思うの。でも、『料理が得意な君が好き』というのは、裏を返せば『料理ができない君は好きじゃない』といった意味合いも含まれていて、そういうのって、『好き』とか『愛』というのとは少し違うと思ってる。何事もそうだけど、言葉にした時点である程度のフィクション性が生まれるというか、”絶対”を言葉で表現することって難しいのよね。だから、相手のことが好きだと思う瞬間は『ただなんとなく、理由はわからないけど好きだなぁ』というのが正しい質量なのだと、自分はそう考えてる。だから、わたしは君が好きだし、たくさん魅力を感じる瞬間はあるけれど、その気持ちをわざわざ言葉にすることは、しなくていいことなんじゃないかな」

 

 しばしの沈黙が訪れ、なにかを考えている様子だった。次に出た言葉は、「なるほど......詐欺師みたいなこと言うね」であった。確かに、胡散臭いといえば、とても胡散臭いな。プンプンと香り立つ胡散を自分自身でも感じながら、「でもこれは、本当に自分が思っていることなんだけどね」と心の中で呟いた。愛を伝えること、感謝を伝えること。言葉を想いに乗せることは、とても素晴らしいことだと思うのだけれど、相手の魅力は、自分だけがわかっていればそれでいいのです。静かに、誰にも告げず、愛でていけばいい。わたしは、あなた達の素敵なところ、たくさん知ってる。