[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0150 満月などありはしない

 

 人間って、自分に無い物を相手に求めるのよ。

 

 自分に欠けている部分を魅力的に感じる生き物なのよ。

 

 ”欠けている”なんて言うと、まるで最初は満たされていたかのように思ってしまう。過去にはその空白が埋まっていたような錯覚を抱いてしまうけれど、そんなハズがない。私たちは何一つ持ち合わせることなく産まれてきたハズなのに、そのことを過去の赤子たちは忘れてしまう。何も無かった、ただ無意識に呼吸を繰り返すことしか出来なかった。たくさんの人から与えられて、何かを少しずつ埋めてきた。与えられることで、愛情の形を覚えた。与えられることで、”欠けた一部分”が形成された。

 

 最初から其処に何もなければ、”欠ける”という概念すら存在しない。少しずつ満ちて埋まっていく過程で、決して埋まることのない一部分に気がついてしまう。どう頑張っても、努力しても、藻掻いても、その空白だけは決して埋まらない。それは他人に指摘されて気が付いたのかもしれないし、自分自身で発見したのかもしれない。いずれにせよ、そこを無理に埋めようと躍起になるから落ち込んでしまう。そもそも、最初からそこには何も無かったんだから。その上で埋まらないのだから、特段落ち込む必要は無い。「私はなんて駄目なんだ」という嘆きよりも、「これは私の個性」という都合のよろしい開き直りをした方が幾らか楽になれる。

 

 そうやって、少しずつ自分を解放してあげたいと思ってる。欠けているように見えるだけで、実際はただ埋まらなかった一部分に過ぎない。”最初からそこには何も存在していなかったこと”。それだけを理解していれば、満たされている部分よりも、埋まらない一部分の方が愛しく思えてくるのは気のせいでしょうか?。きっとこれまでに愛情を与えてくれた人達は、いかなる月の形をも受容してくれたのではないだろうか。

 

 記憶の奥底に眠る大きな愛情。覚えていないことが大半だけど、だからといって愛が形骸化する訳ではない。いま、わたしは生きている。記憶領域の至る所に散らばった愛に、生かされている。これは過去への固執などではなく、”現在”を考える上で決して外せない要素。口にした食物が身体を作り、目にした活字が言葉を創る。そして、これまでに受け取った愛の総量が心を育む。適切に愛を注がれていれば優しい心が、枯渇している状態だとささくれ立った心が、そうやって人間の”個”が明確に創られていく。

 

 相手の一部分に魅力を感じた時には言葉にして伝えたい。決して自分を卑下することはしない、それでも自分が埋められなかった要素を持っている人に魅かれてしまう。素敵だと思ったことを言語化したい、そしてあなたに伝えたい。

 

 「自分は欠点だらけの駄目人間だ」と嘆く人をたまに見かけるけど、欠点がたくさんあるということは、その分相手からより多くの魅力を感じられるということ。総合的に視て、それは欠点ではなく一種の利点になるんじゃないかと密かに思っている。嘆くことによって心が少しずつ欠けていく。それを欠点だと勘違いしているだけで、本当はちょっと疲れているだけ。ゆっくり休んで、よく眠って、愛を記憶の中から手繰り寄せて、抱きしめて、笑って、その後に、少しだけ泣いて。

 

 

 わたし達に欠点なんて存在しない

 

 そこにあるのは一つの個性だけ

 

 私は、すべての欠けた月に愛を伝えたい