[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0311 ストロングゼロと幸福論

 

「あー、お酒飲みたい」って思う時、頭に浮かんでいるのは大体ストロングゼロ(ドライ)のロング缶で、これってもはやお酒が飲みたいんじゃなくて、ストロングが飲みたいだけなんじゃないか? と思うようになってきた。

 

 四捨五入すれば麻薬、超絶安価で売られているドラッグである。愛飲していると、脳味噌が溶けてきて、あれよあれよと支配されている。辛い時に寄り添い優しく背中を撫でてくれる爽やかイケメンよろしく、気が付いた時にはそれはそれは深い沼にハマっているのだった。

 

「愛してほしい」と言えば愛をくれて、「会いたい」と言えばすぐに会える。コンビニに行けばいつだって会えて、プシュッとやればいつだって愛してくれる。そんな安っぽい恋慕にいつまで想い馳せているのだろうか。9%未満のアルコール度数を脳が酒と認識しなくなり、かといってジンやウイスキーを次々と飲み干せるほどには肝臓が強くない。アルコール度数、販売店舗数、価格、味わい、全てが丁度好いのだ。ブランデーやワインが醸し出す高級感とはまた違う、底に落ち着くほどの安っぽさとパンチ力。生き辛さや遣る瀬無さにはその刺激が丁度良いのだった。

 

 家でお酒を飲まなくなった少し前、約一ヶ月の間はストロングゼロを飲まなかった。居酒屋やBARのメニューには、ストロングゼロの文字が並んでいないからね。ある日、「久々にストロングゼロ飲んでみようかしら」という気の緩みから、一缶(350ml)をコンビニで購入。プシュッという解放感、液体を喉に流し込んだときに思ったことは、「なんだこれは......明らかに不味すぎる」というものだった。これまで毎日毎日繰り返し飲んでいたものが、好んで飲んでいたものが、これほどまでに不味く感じるなんて、その感覚は不思議でしかなかった。居酒屋で提供されるビールやハイボールは脳が弾けるほど美味しいのに、しばらく離れていたストロングゼロは絶望的だった。これまで「美味い!」と思っていたものは、そのように思わされていたものであって、本当は、ただの錯覚に過ぎなかったのだ。何故、お前はこんなにも不味いのか? どうしたのか、俺は一体どうなってしまったのか? 

 

 なんだか悲しくなった私は、明くる日も同じようにストロングゼロを飲んだ。ほんの少しだけ、不味さが軽減された気がした。ゴクリ飲む、不味さが軽減される、飲む、軽減、飲、軽、飲、幸、幸、幸。一週間も経過した頃にはあの時の幸福感が復活していた。おかえりなさい、帰ってくるなよ、待っていたよ、もう顔も見たくなかった、幸せだね、死ねよ、マジで死んでくれ。相反するわたしの人格たちを眺めながら、「また、戻ってきてしまった......」なんて戯言、白い天井に意味もなく吐き出した。

 

 結局のところ、人間はなにかに依存しながら生きていく。それが家族だったり、恋人だったり、友人だったり、お酒だったり、コーヒーだったり、お菓子だったり。皆、何かしらの中毒だろう。仕事中毒、勉強中毒、丁寧な生活中毒、活字中毒。その中にある毒の一つとして、わたしはアルコールに頭をもたせかけている。それが無くなったら生きていけないのかしら。それともまた、別の依存先を見つけるのかしら。そんなこと誰にもわからないし、どうだっていいことだけれど、ただ一つだけ言えることがある。それは、束の間の幸福に身を委ねるひと時が、わたし達には必要なのだということ。