[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.042 そこに一輪の花を添えて

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 わたしには恩師がいる。恩師は高校の時の担任で、3年間変わることなくずっと私の担任でいてくれた。今回は、そんな恩師についての文章を認めたい。

 

 定時制の高校受験に見事合格し(定員割れに等しい合格率だった)、高校生として晴れやかに校舎を踏みしめる初登校日。校舎に差し込める夕陽が眩い。教室で担任と生徒一同が初めて顔を合わせる。”学校の先生など短絡的な人間”、”連絡や心配も業務の一環としての行動”みたいな、いわゆる中二病全開の浅はかな偏見を持ち合わせていた私は、目の前に現れた華奢な女性が今後私にとっての恩師となるなんて、この時はこれっぽちも想像していなかった。これは本人にも伝えたことがないけれど、私から見た恩師の第一印象は「えっ?、若っ、肌白っ、可愛いっ」だった。圧倒的に語彙力が欠けている。その上、話してみると物凄く優しい。「あれ?学校の先生ってこんなに優しいのかい?」と思うほどに物腰柔らかで快活に笑う、草原に吹く風のように軽快な先生であった。

 

 学校はとても楽しかった。学校にいけば友達がいる、授業内容はわからなくても(馬鹿だった)自由な雰囲気の授業自体が好ましく思えた。服装も髪型も、ピアスをたくさん開けていても何も咎められることがない。この学校には、わたしを縛り付ける物が何一つ存在していない。これまで地中で暮らしてきた蝉の幼虫が、時と共に土を破り、羽化を経て成虫として大空へと羽ばたく。それと似たような感覚があった。”高校生活”と聞けば晴れ渡った青空が想起されるほどに、その解放感は圧倒的なものであった。まさに青春である。そして、青春とは常に不安定な一面を含有しているもので、そんなわたしを側で見守り支えてくれたのは、間違いなく恩師であった。

 

 学業に励みながら(3年間で一度も勉強をしたことがない)、アルバイトをしたり、一人暮らしをしたり、年上の恋人ができたり、何かと充実した3年間を過ごした。とんでもなく自分が嫌になった時などは学校を休んだりした。当時は自身の中で家族コンプレックスが猛威を奮っていた為、常に情緒が不安定な生徒だった。ふさぎ込んでいる時に心配して連絡をくれたり、優しい言葉をかけてくれたりして、導いてくれたのはいつも恩師で、「担任だから心配している」といった単なる業務上限りの優しさではないことがとても伝わってきたので、私も彼女を深く信頼するようになった。

 

 わたしは、恩師のことを名前で呼んでいる。「○○先生」でも「○○さん」でも「○○ちゃん」でもなく、呼び捨てで呼んでいる。いつからそう呼ぶようになったのかは覚えていないけれど、少なくとも在学中、しかも割と早い段階からそう呼ぶようになっていた。改めて考えると、とても生意気な生徒だったと自分自身でも苦笑してしまう。もしも自分が教師の立場なら、間違いなく許すことが出来ないだろう。「単純に心の器がとても広い方」なのだと、そう思っていた。

 しかし、ある時に「生徒から呼び捨てで呼ばれてイラっとした」と恩師が言ったことがあり、わたしは思わず自分の耳を疑った。わたしが「えっ?ぼく、めっちゃ呼び捨てで呼んでるやん」と言ったら、「○○君(私)と○○ちゃん(同級生)以外は無理」と言っていた。わたしは、瞬間的に特別感を、人間としての付加価値を獲得したような気持ちになった。その特別扱いが、単純に嬉しかった。その時は”人間やっててよかった~”と思った。これは本当に冗談抜きで。

 

 そんな恩師のおかげで、留年することなく無事に卒業式を迎えることができた。卒業して心残りだったのは、友達でも学校でも学業でもなく、恩師のことだった。もはや担任の先生を通り越して”実の姉”のように慕っていた為に、「もう終わりなのかぁ」と心が締め付けられる思いだった。

 後日、すぐにご飯に連れていってくれた。本当に安堵した。卒業して初めて知ったことが、彼女はかなりの”酒飲み”だということだ。とてもよく飲む、見ているだけで爽快感がある。自分も酒が飲みたかったが、まだ未成年ということもあり、コーラで乾杯をしていた。

 

 二十歳になって合法的にアルコール摂取が可能になってからは、よく飲みに連れて行ってもらった。ここで酒を飲む楽しさを教えてもらった。時には他の先生方との飲みの席に混ぜていただくこともあり、”大人の飲み会”という雰囲気を学ぶことが出来た。学業だけではなく、酒に関しても彼女は恩師であった。

 

 同年代の人間が親から成人祝いをプレゼントされている中、私は恩師から成人祝いをいただいた。以前から欲しいと言っていたヴィヴィアンウエストウッドのネックレスで、何の前触れもなくプレゼントされた時は本当に驚いた。あれからもう5年以上経過するけれど、今でも冬になると私の首元を飾っている。これからもこのネックレスは私の宝物として大切にしていきたい。

 

 コロナウイルスの影響もあり、最近は飲みに行く機会が減ってしまったので、少し寂しい。恩師恩師って書いているけど、今となっては”姉”といった感覚が強い。「亡くなった姉ちゃんが生きてたらこんな感じなんかなぁ」みたいな感じ。たまに弟と呼ばれると、とても誇らしげな気持ちになる。本当に出会えてよかった。

 

 十六歳の春、あなたが私の担任の先生でなかったとしたら、間違いなく現在のわたしは存在していません。出会った当初のあなたの年齢をわたしは既に追い越してしまったけれど、わたしはいつまで経っても子供のままで、未熟さから抜け出すことが出来ません。あなたの洗練された精神性にいつも憧れを抱いています。地図が読めなくて途方に暮れている私に、地図の読み方を教えてくれてありがとう。地図の書き方を教えてくれてありがとう。他人から見れば可笑しな地図かもしれないけれど、これからも私はこの地図を頼りに歩みを進めます。

 

 

 

「生まれてきてくれて、ありがとう。」