[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0438 心の声を大切に

 

 凝り固まった常識や論理ばかりで頭のなかが雁字搦め。あれもしなきゃ、これもしなくちゃ。美しいから愛される、愛されないから美しくない。「○○だから○○」の公式に囚われてばかりで、心の声はいつだって二の次だった。日々、忙殺されるなかで少しずつ萎んでいく本当のこころ。ずっと見ないフリばかりをしていた、向き合うことが恐ろしかった。いまになって思うんです。そういうの、やっぱりよくない、って。

 

「本当はどうしたいの?」

 

 自分自身に問うた時、その場で出た答えは「愛されたい」であった。そこに「手が痛い」が附随している。不潔恐怖から何度も何度も洗浄された真っ赤な手、本当はそんなことしたくなどなかった。綺麗な手に憧れていた、「美しく」なりたかったのだ。世の中はあらゆる雑菌でまみれているのに、それらを打ち消すことばかりに人生を浪費していた。そんなことわかっていたけれど、脳が許してくれないのである。もうどうしようもない、そう思っていた。美しくないから愛されないのだ。わたしは自分のなかにある美的感覚を拒絶していた。そう、すべては愛されないことを選択する為に。

 

 愛されたい気持ちは誰に向いているのだろうと考えた時、それは異性でも友達でも道行く他人でもなく、本心はわたしのことを指差していた。そうなのか、そうなのだ、そうだったのか。これまで散々痛めつけて、傷だらけにして、それこそが自分の在り方だと思っていた。周囲のみんなが幸せであれば、それでよろしいと思っていた。けどね、やっぱりわたしも楽しく笑いたかったんだ。悲劇を演じ続けるにはいよいよ精神が限界だった。もういっそのこと楽になりたかった。誰からも必要とされないこと、愛されないことを選択するために、ずっとずっと死を望んでいたんだよなぁ。

 

 外では小鳥のさえずりが朝を包み込んでいる。「わたしはわたしに愛されたかった」、たったそれだけのことに気が付くまで、随分と遠回りをしたものだ。そして、自分にとってはこれが最短距離だったのだ。自分を愛するってどうやるんだろうね。それは自分に優しくすることで、自分を認めることで、存在そのものを赦すこと。すべての肯定は自分自身のなかから生まれてる、だから最優先事項がわたしなのだ。利他的な精神は素晴らしいとは思うけど、自分を蔑ろにしてばかりではいつか心が潰れてしまう。周りの人たちはみんな笑顔で、自分だけが地面のしたにめり込んでいる。そんなのって悲しいね、いつだって泣いてばかりだね。ずっと大事に抱きしめていた「愛されないこと」を手放して、「愛されること」を選択してみる。手に取り眺め味わってみる。わたしはわたしを肯定します。すべての本心を受け容れます。たったこれだけのことでよかった。鏡と向き合ったわたしの顔、きれいな空のなかで笑ってた。小鳥が旅立ちのときを知らせてくれる。