[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.044 鮮血とメリーバッドエンド

 

 

 また今年も、クリスマスが死んだ。

 

 

 クリスマス・イヴ当日、仕事終わりには何をするべきか、山積みのタスクを眺めながら考えていた。今日はどこに行っても眼前には人間が溢れかえることだろう。周囲を埋め尽くす大量の肌色、それを覆うように着飾られたカッコイイ可愛いの暴力的な突風に身を晒すこと。ほんの少し想像しただけで体温が削がられる気がしたので、それ以上考えることはやめた。

 やがて定時を迎えた私は、足早に会社から抜け出した。その時分にはもうクリスマスとかそういうのはどうでもよくなっていて、兎に角「甘い物が食べたい」の一心であった。なんなら、我慢することが難しくて就労中にもイチゴ系の菓子パンやらチョコレートやらを食べていた。それでも甘さへの衝動を抑えることが出来なかった。脳内が糖分の二文字で埋め尽くされている私は、衝動に従うまま会社付近にある大手チェーンの珈琲店に足を踏み入れた。

 

 革張りのソファに腰を下ろし、「フレンチトーストとブレンドを下さい。」と店員さんに伝える。普段、甘い物を食べない私は「フレンチトースト」という単語を口にしただけでも脳内でドーパミンが分泌されたような錯覚に陥る。夜に珈琲を飲むこともしない、眠れなくなるから。ささやかな非日常非日常のコラボレーションに胸が躍る。「今日ぐらいは意味のない贅沢をしてもいいだろ」と免罪符を得ることが出来るのがクリスマスの唯一の利点なのかもしれない。そうやって多くの人間が財布の紐を緩めていく。

 「フレンチトーストにはお好みでメープルシロップをおかけください。」の案内と共に運ばれてきた私的悪魔のコラボレーション。濁流のごとく注がれた琥珀色のメープルシロップが罪の意識を加速させる。フレンチトースト&夜のブラックコーヒー feat.メープルシロップはジャズ基調のビートから繰り広げられるラップバトルみたいな感覚があり、何ともいえない中毒性がある。辺りを見渡すと、広めの店内には数組のカップルと大学生らしき集団が一組しかおらず、戦場のクリスマス・イヴの最中に安寧のオアシスを見つけたような気分になった。

 

 毎年クリスマス・イヴの夜には繫華街に聳え立つラブホテル達が総稼働する。どのホテルを切り取っても正面玄関にある電光パネルには「満室」を示す赤ランプばかりが綺麗に整列していて、私はその光景がとても好きだ。電光パネルを前にした私の頭上では幾組もの男女が交尾しているという事実が好きだし、別にクリスマス・イヴだからといってセックスしなければならない訳ではないのにラブホテルになだれ込む人間がこんなにもいるという事実も好きだ。人間性と獣性を同時に感じることが出来る。だから、今年は繫華街にある幾つもの満室電光パネルを写真に納めようと思い立った。コーヒーを飲み終えた時点で、時計の針は19時を指している。終電間際が理想的なので、まだ時間がある。素面でも構わないけれど、脳にアルコールが入っている状態だとなお好ましい。お会計を済ませ珈琲店を後にした私は、行きつけのbarに行くことにした。

 

 時短要請が解除されてからちょくちょく足を運んでいるそのbarは、まだ時間が早かったこともあり、カウンターに男性が一人とテーブル席にカップルが一組だけだった。それだけで少しの安息が訪れる。手っ取り早く喉に刺激を与えたかった為、ジントニックを注文した。今日も馴染みのバーテンダーはいつもと同じ顔をして私の名前を呼んでくれる。しかし、今日のわたしはただアルコールを摂取しながらボーっとしたかっただけなので、こちらからは話しかけないようにする。先にカウンター席に座っていた男性とバーテンダーとの会話が盛り上がっているようで、それに対して安堵している自分がいた。その安息も束の間で、バーテンダーが私を会話に巻き込んでくる。巻き込むというよりも引きずり込むという表現がより正しく、今日は出来る限り会話をしないという願いは儚くも散りとなる。

 

 会話モードへと切り替えたわたしは、男性の人間性を探りつつ相槌を打つ。今回話した男性は承認欲求が旺盛なタイプで扱いやすかった。こういう単純な人間は、相手側の興味関心に対して適当なコメントを投げかければそれだけで勝手に一人で舞い上がるし、その上相手のことをこれっぽちも知ろうとは思っていない。自分の話しだけを聞いてほしいのだろうし、「すごいね」って言われたいのだろう。女性を見下しているような発言が見受けられる部分があったので、同様に私も彼を見下しながら会話を進めていった。

 

 馬鹿の相手をするには燃料としてアルコールが必要だ。もう最近は自分を抑制して相手を立ててやったりすることは止めていたのだけれど、なんとなく昔を思い出したくて、久方ぶりにエンジンを起動した。感覚はそこまで鈍っていなかったけれど、何せ燃費が悪くなっていた。一杯のウイスキーでは全然速度が出ないし進まない。「気持ち悪いな」と思っている相手の気持ち悪い話しを聞きながら作り笑いで「面白いすね」と言ってる自分に最大級の"気持ち悪さ"を感じていた。昔の自分はこんなことを意味もなくただ孤独感を埋める為だけにやっていたのかと思うと、「そりゃあ心も壊れてしまうわ」と妙に納得できる新たな発見があった。

 少し気を抜くと素面に戻ってしまう。そんなこんなで10杯程のグラスが空になっていた。時計の針は深夜1時を指している。

 

 もう馬鹿の相手をするのも疲れてしまったのと、気が付けば終電が消失していたこともあり、barを後にした。外に出ると瞬間的に冬の外気が肺を満たした。そうすると酔いと疲労感が一気に身体中を侵食して、なんだかとても死にたくなった。「なんでクリスマス・イヴにこんなことしてるんやろ」と急な賢者タイムが訪れる。もうラブホテルとかどうでもよくなってしまって、そのままの流れでタクシーに拾われて帰宅した。

 タクシーの中では話しかけるなオーラを放出していたのにも関わらず、運転手さんに「お客さん、ものすごく声低いですよね」と話しかけられる。仕方なく「えぇ、よくご年配の方からは低すぎて聞き取れないと言われます」と返した。すると、「そうなんですね、実は私もほとんど聞き取れませんでした!」と軽快なアクセントと共に軽快なディスをお見舞いされる。もう何なんだ一体、やめてくれよ世界。何だか全てがどうでもよくなって、思わず車内で笑ってしまった。

 

 

 必要以上にコミュニケーションを取らなくてもいいのかもしれない。自分を削ってまで関係性を築かなくてもいいのかもしれない。言葉にしないと伝わらないことがほとんどだけど、言葉にしないからこそ伝わることもあるでしょう。

 

 

 そんな感じで、いいのかもしれない。