[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.045 どうぞ、縛ってごらんなさいな

 

 これからの世界を生きていく上で必要不可欠なものとは何だろう?

 愛、友情、家族、そんなものではない。

 

 「お金だ。」

 

 最近はお金について考えることが多かったので、自分の考えをここに纏めてみる。

 生きる為に最も必要なものといっても過言ではない「お金」の価値について。

 

 日本の貨幣で最も大きな効力を持っている一万円札。現在発行されている札は縦76ミリ×横160ミリ、厚みは0.1ミリ、表面には福沢諭吉が印刷されている。重さは約1グラムで、これは一円玉とほぼ同じ重量となる。こんなにも薄くてペラペラな紙に効力が与えられていて、人はこの紙幣に踊らされ続ける。「世の中、結局金だ。」と呟く人をよく目にするが、この言葉は間違ってはいない。元気があれば何でもできるのと同じで、お金があれば何だってできてしまう。一万円札が束となり、厚みが1センチ程になった時には大抵の物が買えるだろうし、それを目の前でチラつかせれば人間だって買える。人の心は買えるが、一方で変えることはできないのだけれど。何はともあれ、世の中は金だ。金が原動力となり、惑星が回転しているのだ。

 

 しかし、「はい、結論が出ましたね。」で終わる訳にはいかない。お金が大事なことに変わりはないが、お金以外のことに焦点を合わせた時に初めて、それよりも大事なことが見えてくるのではないだろうか。

 

 私は3年ほど前まで、とにかくお金を稼ぐことだけを目標にして生きていた。お金がなければやりたいことも出来ないし、欲しいものだって買うことが出来ない。必要な時に必要なだけのお金がないことは惨めだ。何よりも、お金が無い人間はモテないし、結婚して生活を送ることが出来ない。そのように考えていた為、必死に人生を削って働いていた。本当は労働力を削ることなく自動的に収益が入ってくる仕組み作りが大切なのだけれど、先ずは資金作りが必要と考えた私はがむしゃらに働いた。自分で言ってしまうけれど、たくさん働いていた。現在となっては、「あの時はほんま頑張ってたなぁー」と思うが、それは誰かに誇れることではない。当時の私は、自分の大切なものに重い蓋をしていたから。

 

 事実として、ただ思考停止して会社に勤めているよりは多くのお金を稼ぐことが出来た。それと同時に、たくさんのお金が懐に入るということは、より選択肢が増えるということでもある。今まで買うことができなかった高価な物に手が届くようになるし、友人や異性と食事に行った時にはご馳走することも出来る。当時の私にとって、それらは全て”見栄を張る”ことに繋がるもので、その為に私の脳は身の丈に合わない歪んだ思考へと変化していった。”誰かによく見られたい、お金持ちと思われたい、余裕だと思われたい”、そんな虚栄心だけがグングンと歪に成長していった。当初の資産を増やすという目標は、いつの間にか”承認欲”という名の虚栄に支配されていた。

 

 「欲しいものを買う為に、時間を削って必死に働いている。」

 

 ある時、ふと我に返った私は思った。

 「あれ、僕って一体何の為に働いてるんやろ?」

 

 気が付いた時には何も残っていなかった。必死でお金を稼いでも、次々と欲しい物が現れる。いくら稼いでもキリがないし、いくら物を買っても心が満たされないようになっていた。インターネットを開けばいくつもの素敵な商品が手招きをしているし、画面の中では優雅で余裕のある人間が笑顔を携えていたりする。しかし、鏡に写るわたしはなんとも空虚な無表情を決め込んでいた。好きだった小説も、写真も、文章を書く事も、何もかもを”金にならない”ことを理由にやめていた。結果=金に繋がらない趣味は、すべて断ち切るべきだと思っていたんだ。

 

 ちょうどその時分、「ミニマリスト」という生き方をしている人間がいることを知る。当時の自分が抱いた印象は「貧乏な人」だった。そんだけスカスカの部屋に住んでどうするねん、もっと家具置けばいいのに。そんな感じでどことなく嫌悪感を抱いたままスルーしていた訳だが、ある日インターネットを徘徊していると、主観的にとてもしっくりくる、とある方を見つけた。服装も、持ち物も、部屋のインテリアも、簡素ながらも洗練されていて、それがとてもお洒落に感じた。「何もかも捨てなあかん訳じゃないんや」ゴリゴリに凝り固まった偏見をミニマリスト風情に抱いていた私だが、気がつくとその概念へと釘付けになっていた。

 

 そもそも、”ミニマリスト”とは”ミニマリズム”を生活上に落とし込んでいる人間を指している。”ミニマリズム”とは、簡潔に言うと「最小限主義」である。アップル社のリンゴマークを例にあげると、リンゴマーク以外の一切の装飾を削ぎ落とすことによって、中心にあるリンゴマークが強調される。この概念は物質のみならず時間に対しても応用することが可能であり、この場合は「人生の中で最も大切なことの為に、その他の余分な部分を出来る限り削ぎ落す」ということになる。

 とにかく部屋に余計な物が溢れていた私は、手始めに断捨離=不要な物を削ぎ落すことから始めることにした。捨てて捨てて捨てまくった。一度断捨離を始めると、如何に自分が無駄な物にお金を費やしていたかが露わになる。高価だったのに全然使っていなかった物、安いから買ったけど全く使わなかった物、自分にとって必要のない物がたくさん眠っていた。服に関して言えば、結果的に所持していた服すべてが自分に必要のない衣服だった。一年が経過した頃には、必要最低限な持ち物だけが部屋に残っていた。

(ちなみに、私は自分のことをミニマリストだなんて一欠けらも思っていません。ミニマリズムの概念は好きだし参考にしているけれど、自身のことをミニマリストだと自称して活動している輩のことはどうしても受け入れ難く感じてしまいます。※あくまで個人的見解です)

 

 そうなると、今まで自分を悩ませていたありとあらゆる物欲が消滅した。生きていく為に必要なものはあまりにも少ないことに気が付けた。物欲から解放されたわたしは、”自分がやりたいこと”に着目することにした。「これまで通りビジネスを展開することに着手しようかしら」なんて考えてみたりしたけれど、なんだか心がスッキリしない。生活様式がガラッと変わった私は、支出が大幅に減っていた。これ以上稼いでも貯蓄が増えるだけで、何も精神をすり減らしてまで続けることではない。そう判断した私は、必要以上に働くことをやめた。そうすることで、自由に使える時間と自由に使えるお金が大幅に増えた。必死になって稼いでいた時よりも、働かなくなった現在の方が全体的に余裕があるだなんて、皮肉だ(笑)。

 

 とても暇になった。本を読むことが好きなのは一貫して変わらずにいて、稼ぐことが目標の時はビジネス書や自己啓発書ばかり読んでいたのだけれど、あまりにも暇すぎるので「久し振りに小説でも読んでみるかー」と書店で手に取った本が金原ひとみさんの「パリの砂漠、東京の蜃気楼」だった。

 正確に言えばこの本はエッセイなのだけれど、多彩な話術から繰り広げられる日常は、なんとも小説的だと感じた。脳内に稲妻が走ったような衝撃があった。金原さんの作品は「蛇にピアス」しか読んだことがなく、他の作品が気になった。次々と読んでいった、読み進める度に心が抉られていく快感があった。「これは、世界だ。」と私の心が叫んでいる。個人的に、金原ひとみさんが綴る世界観は総体的に見て「一種の自傷行為」のような感覚がある。作品の中に自分の感情が閉じ込められてしまって、そこに散りばめたナイフでじわじわと抉り続けられるような実感が伴い、それでも歩みを進めなければならない、その悲痛が、何とも言えず、心地よい。

 

 とまぁ、そんな感じで久し振りに小説の素晴らしさを痛感した私は、物語の世界へとドップリ浸かっていった。最低限働いて、本を読む。そんな日がしばらく続いたある日、自分の中に、ある感情が芽生えていることに気が付く。

 

 「書きたい。」

 

 これは自分でも驚いた。ずっと聞こえないフリをしていた小さな声が、物凄く大きな叫声になっていた。金にならないからという理由で棄ててしまった文章が、まだ生きていた、叫んでいたんだ。「もう自分に噓をつくのはやめよう、感情を素直に受け入れよう」

 そう思った私は、以前立ち上げていた当ブログに、2記事目の文章を綴った。

 

 やりたいことが明確になってからは、「書く事」が生活の中心になっていった。書くためには読むことが大切だから、本を買う為のお金は惜しまない。映像、音楽、言葉で表現される映画は、自身の感性を磨いてくれるから投資価値があり、他にも自分の心を豊かにしてくれる物(アルコール/ファッション/マクドナルド...etc)には存分に手を出すようにしている。たくさんの物を手放した経験があるからこそ、意味のない物(事)を愛せるようになった。意味のない物と必要のない物はイコールではない。[現在の自分にとって必要なものを明確にする]。世に蔓延る流行や広告は、人間の行動心理を利用しただけの虚像に過ぎないのだから。

 

 非常に長くなってしまった上に脱線を繰り返してしまったが、要するに「生きていく上で必要なお金は、そこまで多くない」ということを今回は書きたかった。幸い、「書くこと」に関して言えば本当にお金がかからない。自分の場合はパソコンさえあれば執筆から投稿までが完了する。勿論、好きなこと/やりたい事に多額のお金が必要な場合もあると思う。本当にやりたいことには全力でお金を費やせばいいし、足りないなら稼ぐ方法を考えればいい。大切なのは「それでもやりたいことか?」ということで、私はたとえ文章を書くことにお金が必要になっても書き続けたいと思えるし、本の価格が平均一万円になったとしても、本を読み続けると思う。それぐらいに書く事と読む事が好きだ。

 

 私はお金持ちではないし決して収入も多くはないけれど、好きなことを好きだと言うことが出来て、その好きなことに取り組めている人生に満足をしている。「現状に満足してはいけない」みたいなことをよく耳にするけれど、現状に対する満足は心に余裕を生み出す。その生み出された心の余裕が、当人の表現力を広げていくのだと、私は思っています。

 

お金なんて、死んだらただの紙切れでしょうに。
最高の人生