[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0139 蕾

 

 毎日一枚、写真を撮っている。

 

 「ブログ更新も習慣化したから、新たに何か挑戦したいなぁ」

 先日、友人と飲んでいた時に漏れて出た一言。普段はあまり自分のことを話さないのに、友人と飲んでいる時だけはポロポロと言葉がこぼれ落ちる。

 

 本音だった、このままではいけないという危機感がある。自分自身の停滞を強く感じている。新たな挑戦といっても、別に大それたことじゃなくてもいい。少しのスパイスが日常に加わることによって、停滞を乗り越えられるような気がしていた。

 

 「じゃあ、毎日写真を撮るのはどう?それも生き物の写真。」

 脳天を銃弾で貫かれたような衝撃があった。毎日写真を撮る、とてもシンプルで好ましい。更に生き物の写真という条件付けが施されているのが面白い。これまでは”死”を連想させるモノばかり撮ってきたけど、それを知っている彼女だからこそ対照的な条件を提案してくれたのだろう。

 

 早速、帰り道に一枚撮ってみた。”生き物=生を感じる瞬間”という自分なりの解釈にはなってしまったけれど、生き生きとした情景を写真に収める感覚がとても新鮮に思えた。

 

 それからは、意識的に毎日写真を撮っている。iPhoneに「毎日一枚」という何の捻りもない名前のフォルダを作成して、撮った写真をそこに溜めている。まだ撮り始めて間もないから10枚ぐらいしかないけれど、ひと月分溜まった段階でどこかに公開してみようと考えている。深く考えずに直感で撮っているので、見返してみるとよくわからない写真もある。撮影者は紛れもなく自分なのに、過去の自分が理解できないって何だか面白い。文章の場合でも過去に書いたものを見返すと「頭おかしいやん」と感じる一文もある。いずれにしても、過去を完璧に理解するということは難しいのかもしれない。

 

 毎日写真を撮るようになって、世界の見え方が変わってきた。どこかに”生”が落ちていないかと景色に目を向けるようになる。俯きがちで歩いていた自分が、少しだけ顔を上げて歩くようになった。いつもと同じ通勤路でもどこかしらに”生”は転がっているし、それらは日々変貌していく。

 

 見え方が変わったということは、自分が変われたということだ。変化の度合いは決して大きくないけれど、その小さな変化の積み重ねが大きな魅力へと繋がる。現在はまだ蕾であっても、いつか開花するその時まではたくさんの美しい物事を吸収したい。その為に、私はこれからも写真を撮り続けたいと思う。

 

 

 改めて感じる、会話って素晴らしいな。自分では思いつきもしなかったことが、他人の口からはいとも簡単に出てきたりする。”視点が変われば思考が変わる”とはまさにその通りで、どうしても当事者視点だけでは思考が偏ってしまう。適度に会話を挟むことで第三者視点を共有できる。視点が違うからこそ新たな気付きがあって、その気付きで未来が大きく変わることもある。本当に人間って面白い、生きているだけで様々な気づきがある。良いことも悪いことも、全ての気付きを吸収しながら生きていたい。

 

 俯きながら歩いてみても

 

 視界に入るのは芝生だけ

 

 少し顔を上げればそこに広がる木々達が、

 

 芝生に寝転がれば雲一つない青空が、

 

 

 わたしのことを呼んでいる。