[No.000]

日記以上、遺書未満。

N.0366 書くこと

 

 コロナ渦に屍同然と化していた、わたし。アルコールを飲むこと、馴染みのカフェで本を読むことしか楽しみがなく、ずっと無気力でいた。そんな時に金原ひとみさんの「パリの砂漠、東京の蜃気楼」に出会い、それはもう夢中で読み込み、読み終えたときにはこんな気持ちになっていた。

 

「やっぱり僕は文章が書きたい」

「書いた文章をたくさんの人に読んでもらいたい」

 

 随分前に胸のなかに封じ込めたはずの夢。願望がみるみるうちに膨れ上がり、放置されていたブログがあることを思い出した。そこに文章を投稿することにした。机に向かい、キーボードを指で押しながら文章を書く、なんだかこれだけで偉大なことに取り組んでいるような、そんな錯覚が心地よかった。書けば書くほど、もっと書きたい気持ちばかりが募っていく。これまで、自分のことをほとんど話さずに生きてきたことも影響しているのかもしれない。自分の気持ちや考えを吐露すること、それを誰かに読んでもらうこと、そのことにいつだって自分は救われていた。このブログが自分の居場所のような気がして、間違いなくそうだと思い込んでいて、でも、だからこそ、いつまでもここにいる訳にはいかないよな。漠然とそんなことを考えていて、これは本当になんとなくではあるけど、365の記事を更新したらこのブログを書くことはやめようと、随分前から思っていた。

 

 書き始めた当初よりはたくさんの方に読んでもらえるようになった。それでも伸び悩むアクセス数、様々なアプローチを試みるも、大した成果は上がらない。SEO対策とか、基本中の基本に忠実になればもっとアクセスが増えるんだろうけど、それって書きたいことが書けなくなるということであって、自分にとっては本末転倒である。数字ばかりを追い求めてはいけない、踊らされてはいけない。わたしは、わたしのやり方でこの先を歩いていく。調子がいい時はそう思えるんだけど、いかんせん不安定な精神、沈んでいるときにはもうなんにも考えられなくて、どうしようもなくて、没落。そもそも、たくさんの人に読んでもらって、自分はそれだけで満足なのだろうか。だとすれば、ただ承認欲を満たしたいだけなのでは? 「表現」といった言葉を都合よく利用しているだけなのでは? 嗚呼、苦悩。だれから頼まれているわけでもないのに、仕事ではないのに、なによりも深く深く考えてしまって、苦しくなる。だからといって逃げ出そうとは思わなくて、諦めようとは思えなくて。

 

「好きなのだ、わたしは書くことが好きなのだ」

 

 最初は気分で書いていたブログも、気が付けば毎日書くようになって、机に向かっている自分の在り方が気に入っている。書くことが好きだ、同様に、書いている自分のことも好きなのだ。だから、海の最底辺に沈んでいるような気持ち、頭がグチャグチャな時、死にたい時こそ、文章を書きたい、文章を書いている。願っている、これが自分の形を保つ唯一の方法なのだと。書き続ける事でこの数年なんとか生きてきたけれど、そうすることでしか生きられなかった。本当に死んでしまおうと思ったとき、その気持ちを文章にして投稿した。そして現在もわたしは生きていて、それが正しいことなのかはわからないけど、気が付けば目標としていた365記事、あっという間に達成してた。

 

 もう終わりか、本当に終わりなのかな。この場所で書くことをやめてしまっても、どこか他の場所で書き続けるだろう。それは一体どこになるの? SNSにはすっかり嫌気がさしていて、あらゆる広告プロモーションインフルエンサーが目障りで、もう本当にうんざりしている。いまのところ、自由奔放にくつろげる居場所は、ここしかないのだ。誰にも邪魔されない、かといって誰もいないわけではない、見守ってくれている人がいる。環境に甘えているだけなのかもしれないね、それでも、誰がなんと言おうと、わたしはこのブログが好きなのだった。自分のなかで勝手に決めたことだけど、気が付けば目標は達成されていて、全然まだまだ書きたりない。少し前に友人と話していたんだけど、個人のホームページを開設するのはどうだろうと提案していただいた。そこでブログを更新すればいいし、写真や詩を掲載するページを作成してもいい。その話しを友人としていた時、胸が躍り狂った感覚をいまでも鮮明に覚えている。そうか、わたしは作品を創りたくて、自分の世界が集結した美術館のような場所をインターネットに存在させたいのだな。なんだか、腑に落ちた気がした。小説が書きたいと思うのも、創作欲求の一つであって、わたしは、書いた文章を、言葉を、世の中に解き放ちたいだけなのだ。次に場所を変えるとすれば個人ホームページで、現状としてはこのブログが最適解。だからもう少しだけ、ここで書き続けようと思います。誰にいってんの、って話しだけど、何となくこれだけは書いておきたいと思ったたんです。

 

 

「これからもよろしくどうぞ、わたしの文章が遺品になるその時まで」